「あの夏は、幻。」【1】
「あの夏は、幻。」シリーズ 2004年、夏。
忘れられない、想い出。
忘れられない、人。


「あーちぃー!」

灼熱の夏の太陽の光が、容赦なく全身を照りつける。
日陰もほとんどない広大な土地で、「暑い」以外の言葉がほとんど出て来ない。


「それぐらい我慢おし。あんたまだ若いだろ。」
「なんだよばぁちゃん、元気じゃんかよ。」

高校生の千秋は、とある片田舎に住む祖母の所にはるばる東京から来ていた。
ぶつくさ文句を言いながら、祖母に命ぜられるがまま庭の草むしりを続ける。
父方の祖母きみ江が腰の具合を悪くしたらしいと両親に聞かされたのは夏の初めの頃だった。
それなら自分の親なんだから行ってやれと反論したが、
「年寄りは頑固だから来るなと言うに決まっている。でも孫が行ったら素直に喜ぶだろ」などと言い包められ、
夏休みに入ってすぐに千秋は強制的に行かされることになったのだった。
千秋が幼い頃に祖父が亡くなって以来、きみ江は一人で暮らしていた。
実際きみ江は頑固であまり連絡も寄越さなかったし、高齢ということもあって千秋も心配だったから来たものの…この始末だ。



「次は畑作業だからね。」
「あ〜あ、来るんじゃなかったよ…。」

やれ草むしりだの畑仕事だのと次々にきみ江に用を言い付けられ、コキ使われるハメになってしまったのだ。

まぁでもどうせ夏休みの間だけだ辛抱するか…と半ば諦めながら、千秋はせっせと働いた。






「なぁばあちゃん、コンビニ、どこにあるんだ?教えてくれよ。」

その日の夜のことだった。
千秋は夕食後の一服しようとしたところ、運悪く煙草を切らしていたことに気が付いた。


「あぁ、ここから20分ぐらい歩いて…。」
「に、にじゅっぷん?!」
「なんだい若いくせに。それぐらい大した距離でもないだろうに。」
「大した距離だよ…。あー…、じゃあさ、自販機置いてあるちっちゃい店とかでいいよ。ないのか?」

コンビニまで20分だなんて、都会の便利な生活に慣れた千秋にとっては考えられない距離だった。
昼間いいように使われてクタクタになった身体は、とてもじゃないがそんなに歩くのは不可能だ。



「それならバス停の近くの田中さんとこにあるけどね。」
「わかった、じゃあちょっと行ってくる。」

この際何の銘柄でも煙草が買えるならばいい。
縁側に置いてあった靴を履いて、千秋は出掛けようとした。


「千秋、夜道には気を付けるんだよ、怪しい人とか車とか…。」
「はぁ?俺男だぜ?それにこんな田舎に悪い奴なんかいないだろ。」

恐ろしい事件だとか、交通事故すらも無縁なこの土地で、男に向かって気をつけろはないだろう。
千秋は軽く笑い飛ばして庭先に出ると、生温い夜風が髪を揺らした。


「それと、吸い過ぎは身体に悪いよ。」

げ…。
しっかりバレてるし…。
年寄りというのは動作は鈍いくせに勘だけはいいのが難だ。


「ハイハイ、行ってきまーす。」

千秋が適当な返事をして誤魔化すと、きみ江は困ったように苦笑いを浮かべていた。





「しっかし…なんかお化けでも出そうだな…。」


祖母の自宅を離れると街灯がぽつりぽつりとある以外は疎らに民家があるぐらいで、他には何もない。
それどころか人も一人として出歩いていない。
何もない場所で月明かりだけが妖しく照らしていて、思わずそんなことを呟いた。



「お、ここか?」

「田中屋」と消えかかった古い看板が視界に入り、自販機を見つけると千秋は早速金を入れた。
チャリン、チャリン…。
ガタンッ。
看板と同じく自販機も相当古く、大きな音が響き渡る。


「あれ?」

運良く普段吸っている銘柄を見つけて手にしたはいいが、釣銭が出てこない。
釣銭口に手を入れても何もないのだ。
500円玉と半端な分の小銭を少し入れたのなら、釣銭として200円が戻って来るはずだった。


「なんっだよ、これ。ムッカつく!」

バンバンと千秋が自販機を叩きまくっても、釣銭は一向に出る気配がない。
ただ虚しく自販機を叩く音だけが辺りに響き渡るだけだ。


「くっそ…、俺そんな金持ちじゃないんだからな、出ろよ!」

何度も叩いて、それでもやっぱり出なくて、千秋はとうとう項垂れてその場にしゃがみ込んだ。
たかが200円とは言え、高校生の千秋にとっては勿体無いと言える金額だった。


「それさぁ、コツがあるんだよ。」

え……?
その時突然、誰もいないはずの場所で自分の頭の上から若い男の声が降って来た。


「ホラ、ここ。な?」
「あの…。」

ガシャン、チャリンチャリーン…。
その男が軽く自販機を叩くと、釣銭は見事に出て来た。
千秋が驚いて立ち上がると、そこには一人の少年が立っていた。
一瞬女と思うぐらい綺麗な顔立ちの、多分自分と同じ年ぐらいの少年だ。


「何?俺の顔なんか変?なんか付いてる?」
「あ…、いや、あの…、サンキュ。」

涼しげな視線が自分に向けられて、千秋は何故かドキリとしてしまった。
礼を言う口が思わず吃ってしまう。


「礼ならさ、一本ちょうだいよ。」

彼はふっと笑った後、細くて白い指で千秋の掴んでいる煙草を差した。
千秋は「うん」とも「だめ」とも言えずに、ただ頷くことしか出来なかった。



「あんたさ、この辺の人間じゃないでしょ。」
「え…あーまぁ…。」

その後なぜだかバス停の小さな待合で、二人は椅子に座って煙草をふかしていた。
白い煙が暗闇にゆらゆらと揺れるのがやけに綺麗で、いつも見ている煙草の煙とは別の物みたいだ。


「あの自販機、有名なんだよな。」

それにしても、こいつはなんなんだ…?
やたら綺麗な顔して気配もなく現れて、何だか知らないけど一緒に煙草なんか吸ってるし…。
俺は煙草を買いに来ただけなのに、こんなところで一体何をやっているんだろう…。


「あのさぁ、そういうお前は?この近所か?」
「俺?うん、この近くに住んでた。」

彼は薄く笑いながら、ゆっくりと煙草を吸い上げては煙を吐き出している。
その笑った顔もまた、月明かりに反射して美しい。


「あれ?住んでた、ってことは今は?俺みたいに夏休みで来てるとか?」
「まぁ、そんなとこかな。」

何の気なしにそんな質問をすると、彼はまた笑って煙草をバス停に備え付けの灰皿に揉み消した。
ほんの一瞬僅かに表情が曇ったのは、多分気のせいだろう。


「あ…ヤベ、ばあちゃん心配してるかも。」

それから会って間もないのに、千秋は時間も忘れて彼との会話に没頭してしまっていた。
時計が一時間を経過したのに気付いて、ようやく重い腰を上げる。


「あのさ、明日もまた…来ないか?」
「あ…、う、うん…。」

彼に吸い込まれるように見つめられて、千秋は迷うことなくすぐに頷いてしまった。
どうしてそこで断ることを考えなかったのか、この時はその理由も意味もわからなかった。
ただ断ってしまったらもう会えないような気がして…。
初めて会った人間にこんなにも惹かれてしまったことはなかった。


「ありがとな。じゃあ、また明日。」
「名前!お前…、名前何?俺、千秋。千に季節の秋って書くんだ…っ。」

千秋は振り向いて立ち去ろうとする彼の腕を思わず掴んだ。
掴んだその腕はひんやりとしていたのに、なぜだか千秋の身体は熱くなる。


「夏生。夏に生まれるで夏生。夏生まれだからって…安易だよな。」
「あ!夏生、その〜、夜道には気を付けろよ、なんかお前、綺麗だからさ。」

彼はハハ…と笑って、千秋の手をするりと解いた。
「綺麗」なんて恥ずかしい台詞が言えたのは、田舎の解放感からか、夜だからか…。


「大丈夫だって。俺こう見えても男だからさ。じゃあな、千秋。」
「あ…うん…じゃあな…。」


夏生。
およそ夏とは縁遠そうな涼しさの彼の後ろ姿を、千秋は見えなくなるまで見つめていた。
身体が熱いのは夏の熱させいか、それとも……。







一体自分は何をしているんだろうか。
あれから毎日千秋は夏生に会いにバス停まで行き、一時間程話して帰る。
会うのはいつも夜だ。
人気のなくなった田舎の夜。
人の目とか気になる、とか…?
ここに住んでいたのにそんな理由もおかしい。
疑問を抱きながらも千秋は毎日晩ご飯を済ませると、祖母の家を後にするのが日課になっていた。

だけど断れないんだ。
夏生の…なんだか笑いながらも寂しそうなあの瞳が自分を見ていると思うと。
何かを伝えたいような、訴えているような…。
別に断る理由もなかったし、放送しているテレビ局も少なくて夜は面白い番組もやっていないから別にいいんだけど…。

話の内容は他愛もない、普通の高校生がするようなものだった。
例えば学校でなんの科目が好きかとか、あそこの家のなんとかさんと隣の家のなんとかさんは仲が悪いだとか。
そんな話を飽きることもなくするだけの日々が続いていた。


「俺、見つけて欲しかったんだよな。」

それから数日後のある日、夏生が意味不明なことを呟いた。
千秋はわけがわからずぱちぱちと目を瞬かせた。

「は?何を?」
「俺を。」
「何言ってんだ?なんか変だぞ、お前。」
「うん、俺、変だと思う、自分でも。」

夏生の言葉はその後も意味不明で、千秋は苦笑するしかなかった。
夏生も夏生でそんな千秋に合わせるかのように軽く笑っていたから。
だからまさかあんなことになっていたなんて…思ってもいなかった。


「ハハ…、なんだよそれ。」
「なんだろうな。」

それが本当に笑えないことだとわかったのは、夏生が三日程姿を見せなくなった次の日のことだった。
next only sweetest. Copyright(C)2007 Hizuru.Sakisaka,All rights reserved.