「ス ト イ シ ズ ム」【8】
「マ グ ネ テ ィ ズ ム」シリーズ 行為から一時間程経って、やっと服を着こんだ。
飛び散った五十嵐の白いボタンに、少しだけ申し訳ない気分になった。
シーツやら毛布やらは他の人間にはわからないようにストックしてあった新しいものと取り替えて、汚れた方は自分の家に持ち帰ることにした。


「あの、先生…?」
「どうした?乗りなさい。」

それから教職員用駐車場へ五十嵐を連れてやって来た。
目線でドアを差して乗るようにと促すと、五十嵐が不思議そうな顔をしている。


「でも…。」
「そんなフラフラの奴を放って置く程冷たい人間じゃない。」
「そう…なんですか…?」
「いいから乗りなさい。」

どれだけ俺という人間は他人に興味がないと思われていたのだろう。
面倒なことが嫌いで避けて来た人間関係をまくし立てたのは五十嵐本人なのに、またこういう時になっておとなしくなると調子が狂う。
それはさっきの激しいセックスも原因になのかもしれないが…。
五十嵐は暫く黙ってから、足元をふらつかせながら車に乗り込んだ。


「先生、僕は浅岡に抱かれたいと思ったことはありません。」
「そうか…。」
「先生が三崎先生を襲うのを見て、三崎先生が羨ましいと思っただけです。だから…。」
「もうわかったから。」

助手席で俯く五十嵐は、まるで別人だ。
さっき挑発してきた五十嵐とは全然違う。
だけどその五十嵐も、今の五十嵐も、どちらも五十嵐だ。
こんな顔は多分、自分の前でしかしない。
それは自分が、五十嵐の前でしかあんな風にならないのと同じだ。
三崎の前でだけ見せた熱いところを、五十嵐は見たかったのだろう。
だからあんなに人を馬鹿にしたりイラつかせたりして…気を引こうとしたりして…。
そう思うとやっぱり高校生なんだな…と少しだけ穏やかな気分になった。
そんな高校生の思い通りになっている自分は、もっと子供なのかもしれない。


「こっちでいいのか?」
「はい。」
「次は?」
「右です。」

それは必要最低限の会話だった。
今更先程のことを蒸し返されるのも恥ずかしい。
かと言って世間話でもするような間柄でも人柄でもない。
細い路地に入って、五十嵐の家が近付いて来る。
もうすぐ五十嵐と離れなければいけない。
何を恐れているんだ…。
何を寂しがっているんだ…。
心臓を高鳴らせながら、ただひたすらハンドルを握っていた。


「先生…。」
「何だ。」

車は人気のない路地の五十嵐の家が見える位置で停車した。
周りには小さな公園があるぐらいの住宅地で、歩いている人もいない。
暗くなった辺りに、ぼんやりとした外灯だけが点っている。
そんな景色と同じ沈黙の中、五十嵐が声を震わせながら口を開いた。


「先生は、僕のこと…。」
「こだわるな…。」
「先生っ、もうちょっと…、もうちょっとだけ…!あの…、先生の家とか行っちゃだめですか…?」
「五十嵐…。」

確かにここからは自分の家もわりと近いところだった。
そして五十嵐が必死になって引き止めようとしている。
こんなのは苦手だし、好きではないと思っていた。
人に縋ったり、その人べったりになったり…そんなのは面倒なだけだと。
なのについ今しがた思ったあの寂しさを思い浮かべる。
きっと五十嵐も同じ気持ちで言っているのだろう。


「五十嵐、降りなさい…。」
「はい……。すみませんでした…。」
「後ろに乗りなさい。」
「……先生?」

エンジンを止めて後部座席に乗り直した五十嵐と同じく、自分も一度降りてそちらに乗り直した。
ダークグレーのシートが、二人の体重で僅かに沈む。
俯いたままの五十嵐の顎を掴んで、自分の方を向かせた。


「先生?」
「また…誘っているんだろう?」
「先生…、僕は…。」
「足りないんじゃないのか?」

そのままキスをしながら、耳元で皮肉たっぷりに囁いた。
窓に手を掛けて深くキスを繰り返すと、腕の中で五十嵐が微笑んでいる。
ゆっくりと狭い座席で押し倒して、視線と視線をぶつけ合った。


「足りないのは…、先生じゃないんですか…?」
「だったらどうだって言うんだ。」

あの強い瞳と、すべてをわかり切って人を馬鹿にしたような口調。
首筋をきつく吸うと、そんな台詞を発する五十嵐の口から微かに喘ぎが漏れた。
辺りが暗い上に窓にスモークも貼ってあったが、さすがに場所を考えて運転席に戻ろうと身体を起こした。
行こうと思えばすぐに自分の家に連れて行くことだって出来るのだ。
それならば家に帰って思う存分周りを気にせず行為に没頭すればいい。
しかし五十嵐の手によってそれは止められてしまった。
それもある程度は予測していた。


「先生、僕を今すぐ抱いて下さい。」

強く言い放った五十嵐を、シートに押さえ付ける。
ボタンのないシャツを開いて、胸元に顔を埋めた。
先程のセックスの余韻がまだ残っている上気した肌が視界に飛び込んで来る。


「五十嵐、君は散ると言ったが…、桜は毎年同じところに咲くだろう。」
「先生…っ、ン……ッ。」

肌に唇を近づけて、そこに触れる。
白いその肌に紅い跡があるのは、暗闇でもわかった。
これもすぐに花弁のように散ってしまうけれど、消えてしまったらまた付ければいい。


「掴めなくなったら、また掴みなさい。」
「はい…っ。」
「いいか、何度でも掴みに来るんだ。」
「はい…っ、ん…!」


心から欲しいものがある。
喉から手が出る程…そんな喩え方でいいだろう。
それが手に絶対に入ることがないということが決定的になった時、人はどんな行動や心情に駆られるか。
1.きっぱりと諦める
2.代わりになる別のものを探す
3.暫くはもやもやうじうじ落ち込んでしまう
4.その他

答えは4.その他だ。
もっと欲しいものを見つければいい。
代わりなんかじゃなくて、それ以上のものを見つければいい。
そしてもっとそれを欲しがればいい。
そうすればきっぱりと諦めることも出来る、落ち込むこともなく終われるし、新たに進むことが出来る。
1から3を踏まえた4.その他、それこそが本当の自分の心なのだ。


「先生、僕を抱いて下さい…っ。」

何か答えみたいなものを欲しくて、何か言って欲しくて…。
今まではそんな言葉などは必要はないと思っていた。
だけど五十嵐が、強い瞳なのに泣きそうだったから。
こんな自分のことを好きだと、心の奥底から訴えていたから。


「五十嵐、好きだ。」

ここから始まる、そう思いながら初めて自分の思いを口にした。






END.
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