「ス ト イ シ ズ ム」【1】
「マ グ ネ テ ィ ズ ム」シリーズ 心から欲しいものがある。
喉から手が出る程…そんな喩え方でいいだろう。
それが手に絶対に入ることがないということが決定的になった時、人はどんな行動や心情に駆られるか。
1.きっぱりと諦める
2.代わりになる別のものを探す
3.暫くはもやもやうじうじ落ち込んでしまう
4.その他

過去にこのようなことに遭遇した時、自分なりにこれを分析してみた。
1はそうしたいという願望、2は心配する周りに対しての強がり、そして3は本当の胸の内。
つまりは1〜3の全部が当てはまるのではないかという考えに辿り着いた。
そしてそれはこれからも自分の中での定義になるだろうと思っていた。

それではこの中の1〜3のどれにも当てはまらない場合、人はどうなってしまうのか。
つまりは4.その他の場合だ。
大抵アンケートや何かの質問でも、当てはまらない時を考えて用意しておく項目がこの4.その他だ。
普段は余り選択しないと言ってもいい項目と言えよう。
自分にとっても今までもこれからも、余り選択することはないであろう項目だった。
それがこの世に生を受けて26年、まさにその4.その他の場合に遭遇することとなった。
それはとても強烈過ぎて、だけど自分の中に潜んでいた自分を見出すこととなったのだ。


あの人…三崎匡貴という人に出会ったのは、今年度の新任教職員が顔出しを兼ねて挨拶に来た日だった。
慣れない様子たっぷりで着られた真新しいスーツが、やけに眩しかったのを覚えている。
教師だというのにまるで高校生ぐらいにしか見えないその外見に、まずは興味を持った。
自分が同性愛者とは認識してはいなかった。
また、どちらも愛せるというわけでもなかった。
なのにあの人のことを考えるだけで、心が揺れ動く思いを何度も味わった。
初めて会話らしい会話をしたのは就任してから二週間ほど経った頃だった。
担当する物理の実験だか何だかでうっかり手を怪我してしまったと、自分の常在する保健室へやって来たのだった。


「駄目ですね僕…、こんなことで怪我なんて。授業もわかりにくいし。」
「三崎先生、まだ教師何日目ですか?最初から完璧な教師なんていませんよ。」
「あ…、そ、そうですね…、ありがとうございます井上先生。」
「いえ、俺もまだまだですから。気持ちはわかるんです。」

照れくさそうに言った彼の感謝の言葉が、胸にくすぐったかった。
外見はともかく大人の男に使う表現ではないが「なんて可愛い人なんだろう」そうとしか言いようがなかった。
そして手当てをするために触れたその手を、ずっと離したくないと思ってしまった。
それは「この人が欲しい」と、これが「恋」というものだということがはっきりとわかった瞬間だった。

それからは歳が近いということもあり、廊下で会うと彼はぎこちないながらも必ず笑いかけて挨拶をしてくれた。
こちらもこちらで、なんとかその距離を縮めようと試行錯誤したものだ。
彼に本心を気付かれないようにしながらも彼との距離を縮めるのは容易なことではなかった。
授業で何か失敗でもしてしまったのか、落ち込んでいるのを見ては食事に誘ったりもしてみたし、何か用はないかと自分なりに探しては電話もしてみたりした。
それはまるで初めての恋に戸惑いながらも喜びを感じている高校生のようで、我ながら恥ずかしくなったものだ。
実際に行動に出たのは本当に時々で数える程度だったけれど、それでも自分が一番近い場所にいると思っていた。
あまり他の教師と親しくしない彼と、一番近いのは自分だと。
もしかしたら自分の中には「自信」というものすら生まれていたのかもしれない。
それが一転、こちらがその先の行動に移す暇も隙もなく、それが見事に崩れ落ちたのだ。
いや、正確には自分が見破れなかっただけだ。
彼の中に、浅岡一穂という生徒が存在し続けていたことを。
落ち込んでいた原因は授業なんかじゃなくて、まさにその浅岡とのことで、自分が入る余地などまったくなかったということを。


───でも僕は浅岡が…、浅岡が好きなんです…。ごめんなさい…。───


教職員用の玄関で、彼が本当に申し訳なさそうに俯きながら言い放った言葉。
それはこの胸を思い切り刀か何かでばっさりと切られた挙げ句、とどめだと言わんばかりに突き刺されたような衝撃だった。
それと同時に、彼にこんな表情は似合わないと思った。
こんな風に眉をひそめて今にも泣き出しそうな悲しい顔は、彼には似合わない。
彼を笑顔にできるのは、浅岡一穂という存在だけなのだ。
その事実をはっきりと告げられたような気がして、胸にぽっかりと穴が開いた気分だった。







あれからまだ一ヶ月。
気にしない振りをして、実は大いに落ち込んでいる自分にはいい加減嫌気が差していた。
しかしそれは絶対に表には出さないように努力した。
大の男が失恋で弱っているところなど、誰に見せることができるだろう。
しかも自分はこの学校の…同じ職場の保健医で常に高校生に囲まれている立場だ。
教師はもちろんだが、生徒にだけは見せたくない。
それはなけなしの自分なりのプライドだったのだと思う。


「せーんせ、頭痛いんだけどぉ、早退できるかなぁ?」
「さぼりには協力したくないところだな。」
「えー、なんでわかるのぉ?だってさぁ、彼氏が今日午後からオフって言うからー。」
「君の彼は君に学校をさぼれと強要するのか?相手は社会人だろう?いけないなそれは。」

その日も昼近くになった休み時間、何人かの生徒が訪れていた。
だいたいが体育の授業での怪我だったり、風邪で熱っぽいと言ってきたり。
そんな中でこんな風に学校を早退したいがために頭だの腹だの痛いと言ってくる生徒も珍しくはない。


「そんなんじゃないんだってばー。あたしがそうしたいの!彼は悪くないもんっ。」
「はいはい、君の一途な気持ちはわかったよ。そうだな…微熱があるようだから帰ったほうがいいかもしれない。」
「やった!せんせ、やっぱ理解あるぅー!」
「こら、はしゃぐんじゃない。微熱があるんだろう?」

別に生徒に好かれたいだとか思ってこんなことをしているわけではない。
確かに好かれたほうが何かと生きやすい職場ではあるが、そうではない。
ただ単に面倒だからだ。
いい先生だと思われていれば、面倒なことに巻き込まれなくて済むからだ。
今までもそうやって生きてきたし、これからもそうやって生きていけば、人生は平凡ながら嫌な思いをすることなどないと思っている。
何事も面倒な波はないほうがいいのだ。
それがこの世の中を上手く渡っていく、自分のスタンスというものだった。


「ありがとせんせ、またよろしくね!」
「また、ってのは感心できないが…、気をつけて帰りなさい。」

女生徒は浮かれ気分をなんとか抑えながら、保健室を後にした。
それでも浮かれているのが目に見えてわかるのは、まだ若いからだろう。
それはそれで見ていて不快になるものでもなかった。
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