「月のうさぎ」-2




後悔なんかしていなかった。
俺はそれで由宇を幸せにできると思ったし、俺も幸せでいられると思った。
だけど俺はそれを守ることが出来なかった。
世の中で認められていないことをしていると人間は罪悪感に苛まれる。
男同士で好き合って、身体の関係まで持って。
もちろん周りには、誰にも言えない秘密の関係だ。
その罪悪感は当然起きることで、仕方のないことなのかもしれない。
それでも由宇のことを守ればよかったんだ。
守らなければいけなかったのに…。


「尚ちゃん、今日も遅いの?」
「うん、先寝てていいから。」

高校を卒業して大学へ進学した俺達は、一緒に暮らしていた。
光宇も最初一緒に住むと言ったけれど、由宇が嫌がった。
それでも一緒に住むと言う光宇をなんとか説得して、二人きりで暮らしていた。
それこそ二人で暮らし始めた最初は、幸せそのものだった。
俺がその罪悪感だとか世間体だとかに負けていなければ。


「わかった…。俺も久々に光宇と会う約束してるし…。」
「うん、じゃあな。」

どうして気付いてやれなかったんだろう。
俺が隠れて付き合っている女のことを由宇が知っていたことに。
由宇が光宇のことを出して俺に嫉妬させようとしたことに。
そこまでして、一人になりたくなかった由宇の寂しさに。

それから、由宇を見るのがこの時で最後になることに。
どうして俺は、気付いてやれなかったんだろう。


「尚ちゃん、由宇が…。」

女と会っている時、携帯電話の向こうで光宇が泣いていた。
何が起こったのかわからなくて、一度握っていた携帯電話を落としてしまった。
由宇が光宇と会っていたのは本当だった。
あいつは隠し事はしても、嘘は吐かない奴だったから。


「どうして俺だけ…。」

光宇の声が涙で途切れ途切れになる。
二人でドライブに行って、酔っ払い運転のトラックに突っ込まれた。
運転席の自分は無事だったのに、由宇だけが逝ってしまったのだと、光宇が自分で自分を責めて泣いていた。

すぐには信じられなかった俺も、混乱する頭で病院に駆けつけて、
息をしていない由宇を見た時に、それが現実で真実なのだと知った。
傍には、離れたはずの光宇が、傷だらけで泣きながら床に座っていた。
膝の辺りからがくりと崩れて、気を失ってしまったから、その後のことは覚えていない。
ただ、由宇がいなくなったということだけ。
その事実だけ、頭に強く深く焼き付いた。
そしてそれはきっと、一生消えることがないのだと思った。





◆◇◆





「由宇、今頃餅つきしてるかな…。」
「餅つき?」

由宇がいなくなって数年が過ぎて、もう今はあの時の部屋には住んでいない。
あの場所にいると、今すぐにでも由宇が帰ってくるような気がした。
もう帰って来ないという現実を理解した時の辛さに我慢できなかったからだ。
弱虫だと、逃げたと言われてもいい。
叶わない夢を見て悲しくなりたくなかったのだ。


「知ってた?由宇の夢。」
「あぁ、あれか、月のうさぎになりたいとか…。」
「尚ちゃん、もうやめなよね。」
「何が?」
「自分を責めるの。元はと言えば俺が悪いんだし。俺が死なせたようなもんだよ…。」
「そんなこと…言うなよ…。」

あれから光宇は、付き合っていた彼女とも別れた。
今までになかった彼女という新しい存在に夢中になった自分が悪いのだ、
そう言って暫くは部屋に閉じこもっていたらしい。
その後新しい彼女ができたかは知らない。
光宇が今、どこで何をしているのかも、どこに住んでいるのかも。
ただこうして、一年に一度だけ、俺のところにやって来る。
コンビニで、お茶やら何やら買い物をして。
必ず由宇の好きだったチョコレートも一緒に。


「由宇だけ逝っちゃったのって、本当は月のうさぎだったんじゃないかなって思うんだ。」
「え…?」
「由宇は本当はうさぎで、月に帰ったんだって思わない…?」
「さぁ…、どうだろ…。」
「俺はそう思ってるよ。そう思わなきゃ……悲しい。」
「そうだな…。」

そうして、ぽつりぽつりとそんな戯言を交わしながら、月を見る。
俺達は、同じ痛みを背負ってこれからも生きていかなければいけない。
俺も光宇も、それぞれの生きる別の場所で。
あの月が輝く限り、その痛みを共有し続けるのだ。


「尚ちゃん…。」

同じような顔、同じような声、同じような性格。
俺の名前を呼ぶ光宇を、ぎゅっと抱き締める。
由宇の代わりじゃなくて、俺が寂しいからという我儘で。
そんなのは言い訳かもしれないけれど、俺達にはどうでもいいことだった。
黙って俺に抱かれながら、光宇は次第に眠りに落ちていく。
俺はそんな光宇の寝顔を見ながら、夜が明けるまで月を眺める。

光宇の言う通り、由宇はうさぎだったのかもしれない。
少しの間だけ、この世界にいて、元の場所へ戻ったのかもしれない。
由宇は今頃、楽しく餅つきをしているのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えながら。
由宇が望んだ通り、俺達はこうしていつでも由宇を見ていることができる。


今日も、月は綺麗だ。





END.






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