雪はあれからずっと降り続け、下に行こうにも
視界がわからなくて危険そうだった。
ここには電話なんてものもないし、仮に携帯電話を持っていたとしても、
圏外には違いなかった。
このままここで暮らすわけにはいかない。
学校もあるし、家族も心配している。
まだ…、ユキオと自分は違う世界なのだ。
それに、あの石は効くどころか、逆行していた。
「凛、ごめん…、俺のせいで…。」
ユキオから笑顔が消えたのは、凛が来てから三日目のことだった。
ここにあるだけの布団を重ねていたけれど、外が吹雪なのと、中も暖房なんてないのとで、あんまり温まらない。
でもそれはここでは当たり前のことで、自分はよそ者だから。
「俺がここに連れてこなきゃよかったんだよな…。」
そんなことはない、ユキオのせいじゃない、自分が足を滑らせたのが悪い、首を横に振り続ける。
手にはまだ石を握ったまま。
「ごめん、俺、凛を返したくなくて、母さんに頼んじゃったんだ…。」
凛がここにいますように。
ずっと一緒にここで暮らしてくれますように。
初めて見た時、好きになってしまった。
そう思いながら、母親である雪女に頼んだのだ。
まだ、そこまで力はないから。
思いが凛より勝ってしまって、凛の体を壊した。
告白しながら、ユキオの瞳の端から、雫が落ちた。
その温度は凛たち人間と同じだ。
俺って汚いな、そう言ってユキオは凛の手を強く握った。
ふと気付くと、部屋の中が温かい。
熱で朦朧としながら、ストーブの赤い色が揺れているのが見えた。
「ダメだよ、溶けちゃうよ…。」
ユキオ、死んじゃうよ…。
汚くなんかない、そんなことない、嬉しい。
そう思った俺のほうが汚い。
俺はいいから、早く一人前になって、
真夏に雪を見せてくれよ…。
言葉にならずに、熱に浮かされるだけ。
冷たいユキオの手が凛の額に触れて、そこからユキオの体が透明に変わっていく。
肩が、背中が、だんだん溶けて、消えていく。
「俺、一番に凛に会いにいくから。」
消え入るようなユキオの声を聞いて、凛の意識は途絶えた。
「凛、凛…、よかった、気がついたのね。」
耳元で母親の声がして、意識が戻る。
そこはまた布団の中で、自分の家の部屋だった。
「あれ…俺…。」
あれは…夢だった??
ユキオはどこに行った?
どうやってここまで帰ってきた?
目が覚めた途端、凛の脳内は混乱する。
「心配したのよ、三日も行方不明だったのよ。」
「それから…?」
「スキー場のゲレンデに倒れてたって。前の日捜索してもいなかったところに。」
「三日…じゃあ…。」
あれは夢ではなかった。
それなら、ユキオが溶けた後、その母親が運んでくれたんだろうか。
記憶がないから、わかるはずもないけど。
「それからあんたの周りだけ、雪がまったくなかったそうよ。
不思議よねぇ…。」
それともユキオが最後の力を振り絞って、
そこまで運んだんだろうか。
いずれにしろ自分は助かって、ユキオは溶けた。
自分の周りだけ地面が出ている光景を思い描く。
そこには自分ひとりだけ。
「…あ。」
泣きたくなるぐらい悲しくなってきて、瞼を押さえようとして気付く。
握ったままの石が、まだ手の中にある。
なんでも叶うというなら、もう一度ユキオに会えることを
祈ってみようか。
真夏に雪が降りますように…。
一年後の初夏。
今年の夏は例年より気温が低い予想だ。
それでもやっぱり暑い気はする。
凛は大学へ進学して、地学の勉強をしている。
ユキオが会いに来たら、ユキオたちと人間の共存に協力したいから。
ついでなのか本命なのか、「世界謎研究会」なんて怪しい名前のサークルにも属している。
大学内のカフェで、冷たいオレンジジュースを飲んでいた。
燦々と照っていた日差しが雲に隠れたり、再び出たりして、その度に目を細めた。
「氷いっぱい入れてくれる?」
カウンターのすぐ傍にいた凛は、
後ろで聞こえた声に耳を疑った。
変なやつ、とバカにされた彼は、なんだか知らないけど氷とか冷たいものが好きなんだ、と答える。
「ユキオ…っ!」
椅子から立ち上がって、叫んだ。
会いたくて、好きだった彼の名前。
そんなことがあるわけがない。
だってあの時ユキオは溶けたんだ。
でもユキオは最後に言った、
『俺、一番に凛に会いにいくから。』
右手で掴んだ彼の腕はあの時と同じ温度だった。
「ユキオ…。」
まだ夏は始まったばかり。
あの太陽の下に雪が降る景色を思い浮かべながら、凛は左手で、ポケットの中の石を握った。
END.
back/index