番外編「ハッピー・バースディ〜志摩編 2」-1




季節は本格的な春を迎え、俺達の住む街では桜も満開という時期になった。
自宅マンションと駅との数分の距離でもそれを感じることが出来るし、マンションの庭にも数本だが桜の木がある。
そしてこの時期にはもう一つ、大事なことが待っていた。


「あっ、隼人ー!お帰りなさーいっ!隼人ーっ、隼人ーっ!」

駅から自宅へ真っ直ぐ向かおうと改札を通って出口から出た途端、明るい声が耳に飛び込んで来た。
仕事帰りの俺の姿を見つけた志摩が、袋をぶら下げてぶんぶんと手を振っていたのだ。
あれほどこんな人混みの中で恥ずかしいことはするなと言ったのに…。
周りの奴だってごく僅かだけれど、チラチラ見ているじゃないか…。


「えへへー隼人ー、お帰りなさいっ!」
「あぁ…うん…。」

それでも俺は志摩の眩しい笑顔を目の当たりにしてしまうと、何も文句は言えなくなってしまう。
怒ってやろうという気持ちも失せてしまうのだ。
別にこれだけで俺達の関係が周りにわかるわけでもないし、何より志摩が楽しそうにしていて、せっかく迎えに来たのだと思うと、怒るなんてことは出来なくなる。


「今日はエビフライにしようと思ってー、出来たてを買いに来ましたっ!それで隼人を迎えに来たのー。」
「そうか…。」
「隼人も志季も虎太郎も好きだもんねー?エビフライ!美味しいもんねー?」
「俺は別に……その…、志摩……。」

別に俺はそこまでエビフライが好きなわけではない。
というか俺は食べ物に関してそこまで関心がない。
志摩と恋人同士になってから、少しは美味しいだとか不味いだとかがわかるようになったものの、志摩ほど食べ物に執着しているわけではない。
だけどそれも志摩が楽しそうに言うから…ということはこの際置いておく。
その楽しさに夢中になって、他のことを忘れてしまうのが志摩の悪い癖だ。


「う?どうしたの隼人?」
「腕……。」
「ほぇ?」
「いや…まだ人通りが…。」
「わぁっ!!ごっ、ごめんなさいっ!!お、俺っ、何だか浮かれちゃって…!ごめんなさいっ、ごめんなさい…!」
「いや…まぁ…わかればいいんだけど…。」

俺が自分の腕を動かすと、やっと志摩は気付いたようだった。
その腕には志摩の腕が絡み付いて、志摩の身体は俺にべったりとくっ付いてしまっていたのだ。
これではそういう関係だと疑われる要素も増えてしまう。
疑われるも何も間違いはないし、否定するつもりもない。
だけど今はそうそう上手く受け入れてもらえるような世の中ではない。
そのことで志摩が傷付くのは嫌だから、志摩にもそういうことをするなと言ってあった。
俺だって本当に志摩の行為が嫌でやめろと言っているわけではない。


「それ…貸せよ。」

俺はしゅんとなって落ち込んでいる志摩が手に持っていた袋を指差した。
それはいわゆるエコバッグというやつで、今流行りの布で出来た買い物袋だ。
この間「可愛いのがあったのー」と大騒ぎして、いくつかまとめて買って来たのを自慢げに見せられたものの一つだった。


「あっ、こ…これは…。」
「どうせお菓子でも買って来たんだろ?」
「えぇっ!ど、どうしてわかったですか…!」
「ふ…いいから貸せよ。」

お前の考えることなら何でもわかるよ…。
だいたい、その目一杯膨らんだバッグを見て変に思わない方がおかしいだろう?
どうせここまで来る途中でコンビニやらスーパーやらに寄り道もしただろうし、そこでお菓子を見て買わずにいるわけがない。


「えへへ、エビフライー♪あっ、カニクリームコロッケも美味しそうー…。隼人ー…どうしよう…。」
「両方買えばいいだろ…。」
「はいっ!買いますっ!」
「まったく…。」

どうしようも何も、最初から両方買うつもりだったんじゃないか…。
俺がいいって言うのを待っていただけなんじゃないか。
俺がいいと良くて、俺がダメならダメ…俺がこうしろと言えばそうするし、俺の言ったことを何でも信じてしまう。
それは俺が志摩を怒れなくなったりするように、志摩の中はすべて俺で回っているということを表しているみたいだ。


「えへへー、早く食べたいねー?お腹減っちゃったー。」

結局志摩はエビフライとカニクリームコロッケ、それからホタテクリームコロッケまで買った。
家に帰ったらこれらは家で一番大きな皿にどん!と置かれることだろう。
漂って来る揚げたての油の匂いが、俺の食欲までをも誘う。


「志摩…、手…。」
「はい?手?な、何かくれるの…?」

細い道に入って、俺は周りに人が見当たらなくなったのを見計らって、志摩の買い物バッグと総菜屋の袋を片手に持ち替えた。
手を出すように言うと、またしても惚けた
ことを言う志摩が可愛くて堪らない。
どうしてこうも、いちいち俺のツボに嵌るようなことばかりするんだろうか…。


「そうじゃないだろ…。」
「えっ!あ…!そ、そっか…えへへ、隼人ー……んう?!」
「志摩はバカだな…。」
「あ……は、はい……。」

こんなところで俺にキスをさせるなんて、とんでもない奴だ。
志摩のせいにして本当にキスをしてしまう俺も俺だ。
絶対にしたくない、絶対に自分はしないだろう、そう思っていたことが何から何まで覆されていく。
志摩と出会ってからの俺は、そんなことばかりだ。


「ほら、もう帰るぞ。」
「は…はいっ!」

薄暗い空の下でもはっきりとわかるぐらい、真っ赤になってしまった志摩の手を引いて、俺達は再び歩き始めた。
ぎゅっと握った志摩の手まで熱が上がったみたいに熱くて、その熱が俺までうつってしまいそうだった。


「隼人ーえへへー。」

夕ご飯の後暫くして俺がリビングにいると、食器洗いを終えた志摩が寄って来た。
こうして志摩が甘えてくるのにも、随分と慣れた。
いや、慣れるどころか嬉しくなってしまう自分がいる。


「あれー?何やってるの?」
「え……。」
「隼人が通販?珍しいねー?」
「いや…まぁこれは…。」

背中に乗って来た志摩が、俺の目の前にあるパソコンに気が付いた。
そこには志摩がよくやっているインターネットショッピングの画面が出ていたのだ。
普段はボケっとしているくせに、こういうことだけは敏感なんだから…。


「隼人もお取り寄せスイーツですかー?」
「ち、違うって…。」
「あのね、これ美味しいの!あっ、これも…。」
「違うって言ってるだろ…。志摩、ちょっと離れろ…暑い…。」

どうしてこの俺がそんなことをするんだ…。
違うと言っているのに、勝手にベラベラと話を続けて…どこまで単純なんだ。
背中に感じる体温が熱くて、俺は思わず志摩を振り解いてしまった。
さっきは往来でキスまでしておいて、勝手なのは志摩じゃなくて俺なのかもしれない。


「あ…も、もしかして隼人…。」
「な、何……。」

離れた志摩が俺の前に正座をして、涙を溜めてじっと上目遣いで見つめる。
また何か変なことでも想像しているんじゃ…いや、しているな…これは…。
こういう時の志摩はいつもに増して単純になってしまうのだ。


「ふ、不倫相手にブランドバッグとか選んでたんだ…!」
「不倫ってな…。」
「お、俺のことなんてもう…何だっけ…、た、たいけんきってやつで…!」
「それを言うなら倦怠期だろ…。」
「そ、それです…!それで若い女の人に走って、俺は何も知らずに家で旦那さんの帰りを待ってて…突然離婚届を突き付けられて…!」
「志摩…また変なドラマにハマってるんだな…。」

俺達は結婚をしているわけではない。
確かに結婚みたいなつもりで籍には入れたけれど、現在の日本では同性同士の結婚が出来ない。
それを旦那だの不倫だの…わけのわからないことを言って泣きそうになるなんて、志摩は本当にバカだ。
今までにもこういうことを言ったことが何度もあるけれど、全部ドラマか漫画の影響だった。


「へ、変じゃないもんっ!奥さんが本当に可哀想で俺…毎回泣いてるんだから…!」
「やっぱりドラマなんじゃないか…。」
「隼人も今度見て…!俺、録画しておくから…!」
「は…話がズレてるぞ…。」

どうしてそうやってとんでもない方向に行ってしまうんだ。
この時期に俺が何かを買おうとしているなんて、理由は一つしかないのに…。
それも志摩の…自分のことなのに気付かないなんて、頭が悪いったらありゃしない。


「うっうっ、だってー…。」
「もうわかったから…。これは何でもないんだ。ただ見てただけだって…。」
「何でもない?不倫じゃないですか?」
「当たり前だろ…。」
「うっ…よかったですー…。」
「まったく……。」

この時期大事なことと言うのは、何を隠そうこの志摩の誕生日のことだった。
去年はデートに行きたいと言うから連れて行ったが、今年はどうしようかと悩んで、何をあげようかと考えていたところで、こうなってしまったのだ。
ハッキリ言ってしまえばいいのかもしれないけれど、そうすると驚きも半減してしまう。
サプライズ的なことが大好きな志摩にとっては、突然の方が嬉しいに決まっている。
それに志摩のことなら何でもわかっているという自分に自信を持ちたかったというのもある。
俺が志摩をわかっていることに志摩が喜んで、もっと俺を好きになればいい…そう思ってしまったのだ。


「あの…くっ付いてもいいですか…?」
「いいけど…。」

今だって十分なぐらい、志摩は俺を好きでいてくれている。
この先もずっと、好きでいてくれるだろう。
わかっていても人というのは贅沢なもので、もっともっと…、と望んでしまう。


「えへへー、温かいー…。」

俺の胸元に頭を擦り付けて、志摩は猫のようにごろごろと甘えていた。
やっぱり俺は志摩が大好きだ。
大好きだから、志摩を喜ばせたい。
俺は結局、誕生日のことは黙っておくことにした。






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