「MY LOVELY CAT2」-1




「志季ーっ、志ー季っ!志季〜。」
「………。」

僕がこの家に引っ越して来て、隣に住んでいた虎太郎という猫に出会ってからもう数ヶ月が経つ。
そしてその猫だった虎太郎が人間みたいな姿になって、恋人同士になって、初めての冬を終えようとしていた。
「恋人同士」なんて言っても、僕達の間にはそんな甘ったるい雰囲気はまったくない。
それは僕の性格上の問題なのか、逆に虎太郎の性格上の問題なのか…。
こんな風にベタベタされると、恥ずかしくてどうしようもなくなってしまうんだ。
もし僕がもっと素直だったら、あるいは虎太郎がこんな風に必要以上にベタベタして来なければ…いつだって努力をするよりそんなことばかり考えてしまう。
我ながら、責任転嫁もいいところだ。


「志季ってば!聞こえてるのか?志季ー、志ー季っ!志季ぃー?」
「うるさいなぁもうっ!聞こえてるよっ!!」
「一緒に外行こう!日なたぼっこ〜♪」
「ひ…一人で行けばっ?僕は今忙しいの!」
「えー!一人やだー。志季ぃー寂しいじゃんかー。」
「じゃあ志摩とでも行けば?!僕は忙しいって言ってるでしょ!」

僕はこの先、いつまで経ってもずっとこんな風なんだろうか。
本当は心の奥底から嫌だなんて思っていないのに、恥ずかしさを誤魔化すために言い訳ばかりして。
何かにつけて志摩の名前を出して、忙しいなんて嘘を吐いて。
これじゃあいつか虎太郎に嫌われてしまう…そう恐れているのに出来ないんだ。
どうしたら僕は、素直になれるんだろう?
きちんと思っていることを言うことが出来るんだろう?
虎太郎の素直さを少しでいいから分けて欲しいぐらいだ。


「忙しいのか?何かしてるのか?志季、何してるんだ?」
「な、何だっていいでしょ!忙しいったら忙しいの!虎太郎には関係ないっ!」
「志季ぃ〜…。」
「あ…か、関係ないって言うかその…勉強!勉強だってば!虎太郎に言ったってわかんないでしょ!」

それでもこういう時になると、すぐにまずいと気が付くようにはなった。
謝ることは滅多にないけれど、言い過ぎたと訂正することは出来る。
以前はそれすらしなかったんだから、僕にしてはだいぶ進歩したつもりだった。


「べんきょー?」
「そうだよっ!僕は春から大学生なんだから今からちゃんと準備を…。」
「だいがく?それって学校ってやつか?」
「そうだけど…な、何…?」

さすがに学校ぐらいは知ってるんだ…。
なんて感心をするようなことでもないけれど、僕と虎太郎は余りにも違い過ぎる。
性格がどうとか言う以前に僕は人間、虎太郎は猫…そもそも生物学的に言う種が違うんだ。
だから話が噛み合わないことやすれ違うことはいつものことだった。
その度に僕は虎太郎に説明をして、虎太郎はこの人間界の物事を覚えていった。
僕は今回のこともまたその一つだと思って、軽く考えていたのかもしれない。


「えー!志季は今行ってるところやめたらずっと家にいるんじゃないのか?」
「はぁ?!何言ってんの?っていうかやめるんじゃないよっ、終わるの!卒業!」
「それでまた学校に行くのか?」
「だからそうだって言ってるでしょ!」

僕はこの春、通っている高校を卒業する。
そして随分前に推薦で入学が決まっていた大学へと進むのだ。
それは虎太郎に説明したつもりでいたけれど、よくわかっていなかったのだろうか。


「じゃあそれが終わったらずっと家にいるのか?」
「さぁね。院に進むかもしれないし…じゃなくても社会人になるわけだし会社とか…仕事には行くけど。」
「でも…志摩はずっと家にいるぞ?」
「志摩は特別なの!志摩のところは隼人が働いてるでしょ?」
「えー…俺ずっと志季と一緒にいたい…。」
「な…何バカなこと言ってんの?!それじゃ生活出来ないでしょっ!!」
「そうなのか…。」
「そうだよっ!だいたいっ、今だって生活出来てるのは僕のお父さんが働いてるからなんだからねっ!虎太郎がうちにいるのだって言い訳して仕送り多く送ってもらってるんだから!お父さんは僕の我儘を何でも聞いてくれるから助かってるんだからねっ?虎太郎はただ家にいるだけで何も知らないかもしれないけどそういうことなの!!」

僕には悪いところがたくさんある。
素直になれないことやすぐに意地悪をしてしまうことはもちろんのこと、それよりももっと駄目なのは…一番いけないのは、人を傷付けてしまうことだ。
明らかに言わなくてもいいような余計なことまで言ってしまったと気付いた時にはもう遅くて、遅いと気付いてから謝ることもしない。
言い過ぎて訂正も出来ないぐらいになると、元の僕に戻ってしまう。
僕と言う人間は、物凄く最低な奴なんだ…。


「志季…俺…ごめん……。」
「べっ、別にそれが悪いなんて言ってないでしょっ!そんな顔しないでよっ。僕が責めてるみたいじゃない…!」
「でもただいるだけだって…。」
「あぁもうっ!虎太郎はいいの!もうっ、今のは僕が言い過ぎたよっ!悪かったって言ってるでしょ!」

ごめんね…虎太郎。
僕がもっと素直になれればいいのに。
ちゃんと真っ直ぐに虎太郎の目を見て謝れなくて、本当にごめん。
もう少しだけ待ってくれたら、きっともっと素直になるから。
僕は口に出せない誓いの言葉のように、ぎゅっと目を瞑りながら胸の中で虎太郎への謝罪を繰り返した。


「志季…。」
「な、何……え…?ん…んぅ!ちょ…何……っ、んぅ…っ!」
「志季、ありがと。俺、志季が大好きだ…。」
「な…に…っ、はぁ……っ、苦し……ん…!」

虎太郎の突然のキスは、信じられないぐらい激しい。
何も知らないくせに、こういうことだけは僕よりも随分と知っている。
それがなぜだか悔しいのに、僕は抵抗することが出来ない。
唾液と共に伝わってくる虎太郎の熱にやられて、溶けてしまいそうになってしまうんだ…。
まるで夢の中にいるみたいに心地良くなって、身動きが取れなくなってしまう。


「志季…志季…。」
「え…!あっ、や……ちょ…っ、やだってば…っ!!」
「あいた…っ!」
「な…ななな何すんのもう…っ!!」

その唇が首筋へ下りて来たのがわかって、僕は咄嗟に現実の世界へと引き戻された。
肌に吸い付いて来る唇に負けない力で虎太郎の胸を押して、床に突き飛ばす。


「志季の凶暴ー、けちー、意地悪ー。」
「ふ、ふんっ!何とでも言えばっ?!い、今のは虎太郎が悪いんだからねっ!!」
「ちぇー…。志季ぃ、いつになったら触ってもいい?いつになったら交尾してくれるんだ?俺、志季に触りたい!」
「な…ななな何聞いてんのっ?!バ…ババババカじゃないのっ!!」
「だって俺、そうしないと人間になれない…。」
「わ…わかってるよっ!何回も言わなくったってそれぐらい覚えてるってば!」

僕は捲られた襟元を押さえながら、恥ずかしさで全身が火傷しそうなほど熱くなってしまっていた。
そんなことを普通聞くんだろうか。
いや…それすらもわからないほど、僕には経験というものがない。
いつまでも逃げられないのはわかってはいる。
虎太郎がちゃんとした人間になるためには、僕が虎太郎とエッチをしなければならないことは…わかっているつもりだ。
そのことはいつだって頭の隅にはあるんだ。


「へへっ、志季可愛いー。真っ赤だ♪タコさんー。」
「う…うるさいうるさーいっ!!放っといてよ!!」
「じゃあ俺、志摩と一緒に日なたぼっこ行って来る!」
「かっ、かかか勝手にすれば?!……あっ、帽子はっ?!」

どうしよう…!
虎太郎の唇はもう離れているのに、どうして僕の心臓はずっとこんなに速いまま治まらないんだろう。
このままじゃどうにかなってしまいそうだ…。


「かぶった!」
「尻尾はっ?!」
「隠したっ!んじゃー行って来まーす!」
「もう……。」

そんな焦りや動揺や戸惑いも、僕は虎太郎に見せることが出来ない。
まるで子供みたいに無邪気で無知な虎太郎には、きっとこんな複雑な思いなんて言ってもわからないんだ。
僕は虎太郎を背中で見送った後、がっくりと肩を落として溜め息を吐いた。


「も…やだ……。」

好きな人がすることなすことにいちいち反応して一喜一憂するなんて、バカみたいだ。
男同士で好きだの何だのなんてバカみたいだ。
少し触れられただけでドキドキして止まらなくなるなんて、バカみたいだ。
僕がバカだと思っていたこと全てを、虎太郎は覆してしまった。
僕に本当の恋というものを教えて、こんなにも夢中にさせてしまったんだ。


「やだぁ……。」

僕は自分で自分の身体を抱き締めるようにして、そのまま床にずるずるとへたり込んでしまった。
このままでは僕は、駄目になってしまう。
楽しくて嬉しいはずの恋も、自分を見失って窮屈なだけになってしまう。
虎太郎と別れたいわけじゃない。
そんなのは絶対嫌だし考えたくもないし、ずっと傍にいて欲しい。
でもどうしても駄目なんだ…恥ずかしくて虎太郎に甘えることもベタベタすることも出来ない。
エッチをしたら…何か変わるんだろうか…。
身体を繋げたら、僕は今より少しは虎太郎の行動や言動に応えられるようになるんだろうか…。


「もうわかんないよ…。」

虎太郎はわかる?
どうすればいいか…そんなことを聞いたら率直に交尾したいって言うの?
さっきみたいにキスの後、僕の身体に触れて来て僕が止めずにいたらその後は……。


「な、何考えてるの僕……!!」

こんなことを想像してぼうっとするなんて…!
これじゃあまるでエッチしたいみたいじゃないか…!
どうしてもしたくないわけじゃないけれど、だからと言ってすぐにしようなんて決意は出来ない。
だっていざそうなったらそれこそ恥ずかしくてどうなるのかわからないんだ。
それにどう考えても僕が痛くて辛い思いをするんだから。
その未知なる世界を想像するだけで恐くて、僕はまだ何も進めずにいた。






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