「All of you」番外編「sweet punishment」-1




残業の有無にかかわらず、仕事が終わった後の俺はどこへも寄らずに真っ直ぐに帰ることにしてい る。
寂しがりやの志摩が、早く帰って来ないかなぁーと首を長くして待っているのを知っているからだ。
その証拠に、俺が玄関のドアを開けただけで志摩はわざわざ走って出迎えに来るのだ。


『こんにちは、志摩です。
猫神様のとこでご飯食べてきます!
うんと、隼人はご飯大丈夫ですか?
ご飯食べたらすぐ帰るので、そしたら準備します。
何かあったら電話下さいです。
志摩より。』

志摩にしては珍しく短いメールが届いたのは、ちょうど仕事を終えて帰ろうとしていた時だった。
相変わらず文章はどこか変だけれど、その変なところが何とも志摩らしい。


『わかった』

俺はいつもの自分らしくごく短い文章を返信し、携帯電話を鞄にしまった。
いつもならスーツのポケットに入れているのに今日に限って鞄にしたのは、これ以上メールを続けたくないからだ。
「わかった」なんて言っておいて、全然わかっていない自分がいるのに気付いてしまったから…。


「ただい…。」

会社を出て電車に揺られて、ぼうっとしながら歩いて数十分後、いつものように玄関のドアを開けた。
こんな風に誰もいない家に帰るのは、物凄く久し振りだった。
これがいつもなら、おかえりなさーい!と叫びながら志摩が俺に抱き付いて来ていたところだった。


「………。」

俺はいつからこんなに女々しくなってしまったんだ…。
誰かが傍にいないと泣いてしまうのは、志摩だったはずだ。
寂しがりやの甘ったれも、ベタ惚れしているのも志摩だったはずなのに…一体いつの間にこんな風になってしまったんだろう?


「あぁ…もう……。」

俺は自分に苛立ちを覚えて、もうこのことは深く考えないようにしようと思った。
こんな細かいことでいちいち寂しがっていたのでは、とてもじゃないが身も心ももたない。
志摩が楽しんで帰って来たなら、俺も黙って迎えてやればいい。
そうすれば物わかりのいい優しい恋人なんだと、志摩がもっと俺のことを好きになってくれるかもしれない。


「え……!!」

うじうじした考えを振り切って、リビングの明かりを突けると、その光景にぎょっとした。
ヒラヒラとカーテンが揺れていて、窓が開けっ放しになっていたのだ。
泥棒にでも入られたか、それとも今まさに泥棒が入っているのか…?
しかしカーテンが大きくはためいた瞬間、そのどちらでもないことが判明した。


「うわ……。」

ベランダにはいつも使っている布団が干してあって、夕方に少しだけ降った雨で濡れてしまっていた。
おそらく準備に慌てていた志摩が布団を干したまま、出掛けてしまったのだろう。
床に服が散らばっているところからしても、それは明らかだ。


「まったく…。」

普段は掃除だの何だのとやれば出来るのに、こういうところは相変わらず抜けているんだ…。
盗られて困る物なんか何もないからいいようなものの、本当に泥棒が入っていたらどうするんだ…。
俺は志摩に対する文句をブツブツと呟きながら、ベランダに行って布団を取り込もうとした。


「…………。」

しかしそこでまたしても俺の悪い癖が出てしまった。
このまま布団を取り込んで服も寄せておけば、何事もなかったかのように済むかもしれないのに…。
志摩は素直に謝って、今度から気を付けてもらえばいいのかもしれないのにだ。
どうしてそんな簡単なことが、この歳になっても出来ないんだろう…。
ここでそのままにしておけば、志摩がしたことを責められると思ってしまった。
文句の一つでも言えば、志摩は泣いてしまうだろうと。
俺はその志摩の泣き顔が見たくて、反省して落ち込んでいるところが見たくなってしまったのだ。
そして一生懸命謝る志摩を抱き締めて、触れたくて仕方がなくなってしまった。
自分でも最低な奴だと思うけれど、志摩がいつでも見事に引っ掛かってくれるのもいけない。
そして俺はまた調子に乗って、意地悪ばかりして…それの繰り返しだ。
これではもっと好きになるどころか、嫌われるかもしれない…わかっていても止められないのは、それほどまでに俺が志摩に夢中だからだ。


「ただいまー!志摩ですっ!隼人ー、志摩だよー!ただいまですっ!」

結局俺は布団をそのままにして、一時間ほど経った頃、明るい声が玄関から聞こえて来た。
もちろん俺も玄関が開いただけで志摩が帰って来たということはわかっていたけれど、俺は志摩のように走って出迎えに行くなんてことは出来ない。
そんなことをする自分なんて、気持ちが悪過ぎて想像もしたくない。


「おーい、水島くん、いないのかー?愛する志摩が帰って来たぞー?」
「やー、恥ずかしいよー!愛するだなんてー!」
「えー?だってラブラブっていっつも自慢してんじゃんか。」
「そんなぁー、恥ずかしいー。でも隼人出掛けてるのかなぁ…。隼人ー…?隼人ー…。」

俺はてっきり志摩が一人で帰って来たと思っていたのだが、別の人間の声がして驚いてしまった。
この声と言い会話と言い俺の呼び方と言い、一緒にいるのが誰なのかはすぐにわかった。
俺のことをそんな爽やかな呼び方をする人なんか、会社の人間以外に一人しかいないからだ。


「え…、おい志摩っ、泣くなよ…?」
「どうしよー!隼人どっか行っちゃってたら…!」

自分は出掛けておいて、その言い分はないだろう。
おまけにいつもなら迎えに来てー、と甘えた声で電話をして来るのに、どうして今日はして来なかったんだ。
俺がいないと勘違いして泣きそうになるだなんて、どれだけ寂しがりやなんだ…。
俺は志摩のバカさ加減に呆れながらも、どこかで安心している自分がいた。
勘違いでも思い込みでも、志摩が泣きそうになっていることに。
そしてその泣き顔だけは誰にも見せたくないと、俺は慌てて玄関へ向かった。


「あ…、ほら志摩、水島くんいるぞ?よかったなー。」
「隼人ー、会いたかったですー!」

志摩と一緒にいたのは、俺の予想通り藤代さんの弟だった。
おそらく志摩が一人で帰ろうとして、危ないからと思って送ってくれたのだろう。


「志摩っ!何やってるんだバカっ!!」
「ひゃあっ!!ご、ごめんなさいっ!!」
「み、水島くん…?!」

そんな厚意で送って来てくれた藤代さんの弟の目の前で、俺は志摩を怒鳴りつけてしまった。
こんなのはただの八つ当たりだ…。


「一人で帰れないなら電話しろって言ってるだろっ!」
「はいっ、ごめんなさいっ!!隼人ごめんなさいっ!!でもあの…っ!」
「あ、あの…、水島くんっ!俺が勝手に送ってきただけで…。」
「でもも何もないっ!お前は肝心なところが抜けてるんだ、出掛ける前だってな…。」
「はいっ、ごめんなさいです!出掛ける前…?な、何ですか…。」
「み、水島くん落ち着いて…!」

藤代さんの弟は、俺を見て目を丸くしていた。
普段はこんなに感情を露にしない俺に対して、それは当然の反応だった。
だけど俺は、志摩が絡むと途端におかしくなってしまうんだ…。
そこで志摩のせいにすること自体、間違っているのかもしれないけれど。


「わあぁっ!!!お布団があぁ──…!!もしかして窓も開けっ放しで…?!」

俺は無言でリビングのドアを開け、視線で窓の方を指した。
さすがに鈍感な志摩でも、この寒い時期に窓が開いていれば気付く。
揺れるカーテンの向こうに自分が干した布団があるのにもすぐに気付いたようで、叫びながら窓の方まで走って行った。


「隼人ごめんなさい!!俺…、俺ごめんなさいっ!!」

志摩は自分よりも大きな布団を抱えて、勢いで床を転がった後、そこに突っ伏した。
手をついてぺこぺこと頭を下げているその姿がいつもにも増して小さく見えて、俺は今すぐに抱き締めたくなってしまった。


「あの…水島くん……。」
「あ……!ご、ごめん俺…つい…。」
「いやー、ちょっとビビったじゃん!すげー恐いのな、水島くんって。」
「ご、ごめん…!せっかく送ってくれたのに…。」

やっとそこで一息吐くと、激しい後悔の波が押し寄せて、今度は俺が藤代さんの弟に対して頭を下げる番だった。
わざわざ送ってくれたのに、俺は一体何をやっているんだ…。
せめて彼が帰ってから志摩を怒鳴ればよかったのに、こんなところを曝してしまうなんて…。


「まぁまぁ、俺も悪かったし。もっと早くに帰せばよかったな。」
「いや…あの…そういうわけじゃ…。」
「けど初めて見たな…水島くんがそんな嫉妬するところなんて…。結構意外だったなぁ。」
「え…!あ…あの……。」
「え…?!ち、違うのか?ごめん、俺の勘違いか!」
「いや…まぁ…違…わない…かもしれないけど……。」

冷静になった途端、俺の頭の中は混乱してしまっていた。
嫉妬をしているのは自覚していたけれど、そんな風にストレートに言われたらどう返せばいいのかわからなかった。
藤代さんの弟と言うのは、俺とはそういうところがまったく逆だ。
前に花屋に行った時も、あまりにも自分と違うことに驚いた覚えがある。


「志摩ぁ〜、今夜は大変だなぁ?」
「ちょ……。」
「はいっ!!ごめんなさいっ!!大変なことをしてしまったのですっ!!」

謝るのに夢中な志摩はまったく気が付かずに間抜けなことを言っているけれど、俺には藤代さんの言葉の意味がすぐにわかった。
俺が企んでいたことがだいたいバレてしまったのだろう、こういうところは藤代さん兄と物凄く似ている。


「じゃあ俺もう行くわ。」
「あ…、お、お茶でも…。」
「ううん、大丈夫だって。ほら、それより志摩…。」
「いや、それは…その…。」

ひそひそと耳元で言われて、やっぱり俺は動揺していてどうにも答えられなかった。
はいそうです今からそういうことをします、なんて言えるわけがないけれど、しようとしていることは否定が出来なくて、しどろもどろになってしまった。


「それに俺もほら…、なんて言うか…愛する人が待ってるし。」
「あ…そうか…。」
「もしかして銀華も寂しそうにしてんのかなーなんて思ったりして…あ、本人には絶対内緒な?そんなこと言ったら絶対怒るから。」
「あ…うん…。」

そんな俺達の会話なんて、志摩の耳にはまったく聞こえていないみたいだった。
ただひたすら謝っている志摩をよそに、藤代さんの弟は手を振りながら帰って行った。
おそらく今頃彼は、小走りで自分の家に向かっていることだろう。






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