「DARLING」番外編1「HONEY」…夜編-1




その日俺は、昼間の電話での予告通り定時に仕事を終え、真っ直ぐ家に向かった。
志摩のことだから俺が帰ったのに気付くと走って出迎えに来るだろう。
そして勢いよく飛び付いて来るに違いないと思った。
それも以前なら鬱陶しかったはずなのに、いつの間にか俺達の間で当たり前のことになっていた。
そんな志摩の笑顔が見られることに喜びを感じていた。
ここにいて幸せなのだと、志摩が俺のことを全身で好きだと伝えてくれているような気がして…。


「はー…。」

それでも志摩のその行為に慣れたわけではなかった。
むしろ日を追うごとに俺の抑えはきかなくなるばかりだ。
あんな風に飛び付いて抱き付いて来られたら、誰だってそうだ。
密着しているのが肌で感じられると、どうしようもない欲望を抑え切れなくなる。
志摩の小さくて柔らかい、抱き心地のいい身体に触れていると、
それを壊してやろうと思いながらも実行に移すのを抑えるのに必死なんだ。
それなら抱き付いて来なければいいのにと、最初は俺もそう思った。
だけど志摩は単純に俺と抱き合いたいだけで、その先をしてくれと言っているわけではない。
だから俺が我慢すればいいことだったのだ。
それにまったく身体の関係がないわけでもなく、その場だけ我慢すればいいことだった。
俺はそこまでして志摩に嫌われたくないと思っているし、それだけ志摩のことが大事だと思っている。


「ただい……。」
「隼人ー!おかえりなさーい!」

ドアの鍵を開けると、思った通り志摩が走って向かって来た。
今日もいつもと同じでよかったと安心しながら志摩を受け止めようとして手を伸ばす。


「にゃうー。」
「あっ、虎太郎っ!わあぁっ!!」
「志摩っ、危な……!!」

いつもと同じではなかったのは、その志摩の足元に猫の虎太郎がいたことだ。
虎太郎まで一緒に俺の方に向かって来てちょろちょろ動いて、避けようとした志摩がバランスを崩す。
どうにかして志摩だけでも…そう思った時には遅かった。


「ひゃあぁっ!!」
「痛…っ!」
「にゃ〜?」

志摩は床にべしゃん、と潰れるように落ちてしまった。
その志摩を抱き止めるのに間に合わないだけでなく、俺までバランスを崩して後ろのドアに頭をぶつけた。
結局無事だったのは虎太郎だけで、当の虎太郎は猫ゆえに何が起こったのかわからない様子だった。


「志摩、大丈夫かっ?」

俺はぶつけた頭を押さえながら、動かない志摩に駆け寄る。
どこか打ち所が悪かったら…自分のことより志摩の方が心配だった。


「うーっ、うっうっ…。」
「志摩、大丈夫か?」
「うっうっ、顔ぶったー!痛いよぅー!」
「うわ…。」

顔を上げた志摩は、見事に真っ直ぐに顔から落ちたようだった。
丸くて低い鼻の先が真っ赤になってしまっている。
余程痛かったのか、涙を滲ませながら俺に抱き付いてくる。
その顔や仕草を可愛いと言ったら駄目なんだろうか。
こんな時にそんなことを考えていたら志摩は呆れるだろうか。


「うー、隼人ー。」
「志摩、ちょっとこっち…」

ここまで我慢出来たのに、どうしてこうも俺は…。
そんな風に自分を責めても、抱き締めていた俺の手は志摩の顔へと移動していた。


「痛いですー…。」
「うん…。」

俺はおかしいんだろうか。
志摩のこんな泣き顔も可愛いと思ってしまうなんて。
それはセックスの時と同じだった。
もっと泣かせたい、もっと泣けばいいのにと思ってしまう。
涙で濡れた頬を隅々まで舐めてやりたいと思っている。
そうやって泣いて俺を頼って、俺だけに甘えて欲しいと。


「ひゃ……?隼人…っ?」
「痛いか?」

赤くなった鼻に舌先で触れると、驚いた志摩がぱっちりと目を開ける。
ぽかんと口を開けて、それこそさっきの虎太郎みたいに何が起こっているのかわからないみたいだ。
その間抜けな顔にさえ欲情してしまうなんて、俺はやっぱりおかしいのかもしれない。


「えっと、うんと、痛いです…。」
「笑いながら言うなよ…。」
「えへへー、隼人ー。もっとー。」
「な……。」

だけどそんな俺にだって言い分はある。
いくら志摩が純情だからと言っても許せない時だってあるのだ。
そんな無邪気に凄いことを言われてここで止めるなんて出来るわけがない。
先に進んだって文句なんか言わせない…。


「あー!シマ〜、ミズシマといちゃいちゃしてる〜!」
「うわっ!シロ…?!」
「シマが戻って来ないから心配したんだぞ!」
「シロー、ごめんなさいです!」

何か俺は、こういう運命なのだろうか。
俺が志摩とこういうことに縺れ込もうとすると、絶対に誰かが邪魔をするのだ。
邪魔というか、もしかしたら俺の暴走を止めてくれているのかもしれない。
そう考えるということは思い当たる疚しい気持ちがあるということだ。
俺は何も言えなくなって、すぐに志摩から離れた。


「早く食べよ!あいつも待ってるぞ。」
「うんっ!食べるー。隼人、こっち!」
「……?」

シロが家に来ることは珍しいことではない。
だけどこの時間までいることはほとんどなくて、俺が帰って来た頃にはもういないのが普通だった。
別に邪魔だとかそういう意味ではなく、恋人である藤代さんが心配しないんだろうか…そう思ったのだ。
それにあいつというのは誰なんだろう…。


「あー!志季なんで先に食べちゃうのー?!」
「だってお腹減ってたんだもん。志摩が遅いのが悪いんだよ。」
「オレだって我慢してたんだぞ!ずるい!」

そこにはつい最近まで俺達を騒がせた志季がいた。
散々騒いで去った後、一週間して俺の家の隣に引っ越して来てしまった志季だ。
確かに志摩は遊びに来いと言ったけれど、まさかこんな近くに来るなんてことは俺でも予測出来なかった。
だけどその後も遊びに来ることなんてなかったのに…。


「ひどいよ志季〜…。」
「これ案外美味しいよ。」
「当たり前だっ!シマの料理は美味しいんだからなっ!なー?シマー?」
「えー。そんなぁ〜照れるよー。」
「案外って言ったんだよ。凄くなんて言ってないもん。」
「む…。シマの文句はオレが許さないぞ!シマをいじめるなっ!」

これは一体何だ…?
3人がぎゃーぎゃーと騒いでいる中、俺は呆然と立ち尽くしていた。
目の前には、折り紙やらで作られた飾りと、テーブルの上いっぱいの豪華な食事。
大きなケーキはところどころが崩れていて、あれはシロが作った物だろうか。


「あっ、隼人ー座って座ってー!」
「いいけど志摩…。」
「早く早くー。」
「いいけど志摩、これは何だ…?誰かの誕生日か…?」

志摩に背中を押されて席に着いたはいいが、俺にはまったくわからなかった。
志摩の誕生日は3月だし、俺の誕生日は8月だ。
シロは確か6月と言っていたし、志季の誕生日は知らないけれど、
あんなに自分をいじめた奴の誕生日をわざわざ祝おうなんて思うだろうか。


「えっとあの…。」
「……?」

隣に座る志摩がごにょごにょと口をどもらせた。
俯く頬が少し赤くなって、両手の指先をちょこちょこと動かしている。
こういうところが男に見えないんだよな…。


「1周年です…。」
「え…?なんの…?」
「うんと、俺と隼人がこっ、こ…恋人になってです…!」
「え……。」

あれから1年も経ったのか…そんな思い出に浸る間もなかった。
逆にその事実を突きつけられてあまりにも恥ずかしくなってしまった。
わざわざそんなことでこんな会開くなんて普通は考えないものだ。
男同士で付き合って普通はオープンに出来ないものじゃないのか?
それをケーキだご馳走だ、なんて人まで呼んで…。
俺は一体どんな顔をしてこの場にいればいいと言うのだ。


「シマ可愛い〜、照れてる〜。」
「えー?シロってば恥ずかしいよー!」

この場合、一番恥ずかしいのは俺だと思うのだが…。
だけど不思議なことに、俺は嫌だとは思わなかった。
今までの俺だったらそんなことはしなくていい、なんて言ってあからさまに嫌な顔をしていただろう。
志摩と出会ってからだ。
志摩と恋人になってから変わったのだ。
だって、志摩が喜ぶ顔を見て嫌だなんて言えるわけがない。


「ミズシマ〜、オレお祝いにケーキ作ったんだ〜。」
「あー…うん。」
「仕方がないから僕は飾りつけしてあげたよ。志摩もシロもとろいんだもん。」
「あ…そう…。」

素直に「ありがとう」はやっぱり恥ずかしいから言えなかった。
だけど俺の代わりに志摩が笑顔でいてくれるから2人にも伝わっているだろうと思った。
こんな勝手な俺を好きだと言い続けてくれている志摩が嬉しそうにはしゃいでいるから。


「シマ、ミズシマおめでとう!乾杯しよ〜。」
「うんっ!」
「ふんっ、仕方ないから僕もしてあげる。」

志季の言い方は相変わらずだったけれど、志摩はそんなことを気にしていないみたいだった。
シロの手作りケーキといつもより豪華な食事を口にすると、志摩はより一層嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
俺はと言うとそんな志摩やシロや志季が楽しそうにはしゃいでいるのをただ眺めているだけだった。
時々言い争いになったりして、なんだか子供が三人いるみたいで可笑しくなってしまったりしながら。
それでもわざわざ来てくれたことには感謝をしながら、黙々とケーキと料理を味わった。





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