「fragile」-1




今までに付き合った人は3人だ。
現在の年齢から考えて決して多いということはないはずだ。
恋愛経験が少ないと言われればそうだし、良い様に考えればそれだけ一人の人と長く続いたとも言える。
ただし、それは過去の話で、人生の中のほんの一時に継続しただけだ。
だから長かろうが短かろうが大それたことを言える立場でもない。

二つ上の兄が俺とは逆に派手好きで女好きだった。
それが今ではすっかり一人の人間に夢中で、恋っていうのは凄いなぁと感心すらしてしまった。
人間というか…正確には元猫というちょっと変わった奴だけど。
そのちょっと変わった兄の恋人と知り合ったお陰で、俺も凄いと思える恋に出会うことが出来た。
しかもその俺の相手も、ちょっと変わった、元猫の神様という奴だ。
俺としてはそんなことはどうでもいいことだった。
元猫だろうが神様だろうが、同じ男だろうが。
まさか男に惚れるなんて思ってもみなかったけれど、実際惚れたらそんなものは本当にどうでもよくなっていたんだ。


「あ……っ、う…っ。」

兄の恋人とは違って、ほとんど俺と変わらない体格の奴を抱くことも。
そいつがどう聞いても男の声で喘ぐことも。
脚を開いた時には、もちろん自分と同じものが付いていても。
セックスの時だけじゃなく、普段から意地っ張りで素直になれなくてはっきり言わないことも、全部可愛く思えてしまう。
本当にどうでもよかったんだ。
それぐらいでこの気持ちは揺らぐことなんか絶対ないと思っていたし、自信もあったから。


「く……っ!……いっ。…うへい…っ。」

だけどどうしてだろうな。
こんなに幸せだって言うのに、こんなに近くにいるのに、俺は最近不安で堪らなくなるんだ。
その不安を解消するためにバカみたいにがっついて、余計不安になるなんて。
堂々巡りっていうのはこういうことを言うんだろうか。


「洋平……っ!」

お前はそうやって熱っぽい瞳と声で俺の名前を呼ぶけれど、本当にそれは俺を呼んでいるのか?
涙を流しながら、大きく開いた口から零れる名前が、俺の名前なのに俺じゃない気がするんだ。
俺の感覚がどこかおかしくなってしまったのだろうか。


「あぁ────!」

見つめ合っているのに、俺は自分の後ろに別の人間を感じてしまう。
過去は過去、そうわかっていたつもりだったのに…。
それより今がいいならいい、どうしてそう思い続けられなかったんだろう。
銀華、俺はバカだから、お前がその答えを教えてくれよ。






銀華と出会ったのは、二年前の冬だ。
二つ上の兄のところへ実家から送られて来た荷物を届けに行った時に、その兄の恋人のシロと初めて会った。
その時は元猫だということを隠して、史朗、なんて名乗っていたけれど。
俺は字がよくわからないと言うシロに、字を教えてやった。
兄は入院していると言うし、シロもただ家にいるのは寂しいだろうと思ったから。
冗談で俺じゃダメか?なんて言ったこともあるけれど、それはあくまでも冗談だ。
あまりに幸せそうな兄とシロが羨ましくなって、ちょっとだけからかうような感じで出た言葉だ。
別に愛に飢えていたとかいうわけでもなかったけれど、俺も恋がしたいと思ったのだ。
後から知ったのだが、入院したという
兄は、魔法で猫の姿に変えられていた。
その魔法をかけたのが銀華で、ついでにシロを人間の姿にしたのも銀華だ。
一目惚れというのは本当にあるものなのだと自分でも驚いた。
とても日本人とは思えないような風貌に、物凄く強い何かを感じた。
こちらへ来るな、私に関わるな、そんな拒絶するような強い何か。
それを感じ取ってしまうと、余計俺は止まらなくなってしまっていた。

その何か、を俺は両思いになる少し前に知った。
過去に銀華は人間に捨てられたこと。
正確には、ずっと好きだと言って約束を守らずにそいつが病死してしまったのだ。
しかもその後100年も、銀華はひとりで生きて来た。
誰も信じない、誰も好きにならない、それはどれだけ寂しかったことだろう。
魔法の世界に探しに行った時、抱き締めた銀華が泣いたのが何よりの証拠だった。

それから一年以上が過ぎて、兄には熟年夫婦みたいだ、なんて言われるほど、俺達は安定していた。
それは時々喧嘩をすることはあるけれど、特に別れの危機もなく、言ってみれば平和、だとか平穏だとかいう生活だ。
俺はそれで満足していたし、それ以上は望まないつもりだった。
銀華の過去のことも、もう忘れたはずだったんだ。
今になってそのことを考えてしまうなんて、銀華には絶対に言えない。
100年もそいつのことを思っていたのか、忘れられなかったのか。
そういえば俺がまず最初に気になったのはそいつに似ていたからだと言っていた。
考えれば考えるほどそれは深みに嵌って、まるで底なし沼みたいだと思った。


「…くん、藤代くん?」
「えっ!あ、あ、はいっ、はいっ!」
「どうした?珍しいね、君がぼんやりしてるなんて。」
「うわ、すいません!」

勤務先の花屋が割と暇になる午後の時間帯だった。
カウンターに凭れながら考えるのに夢中になっていて、店長の突然の声に驚く。
好きで就いた仕事だし、店長の言う通り俺がぼんやりすることは珍しいことだった。


「ちょっと、話があるんだけど…、あ、店は副店長に任せるから…いい?」
「??はぁ…。」

ここでは出来ない話だとでも言うのだろうか。
店長は俺を手招きして店の後ろの作業場へ誘導する。
まさかこの業界でもリストラだとか…今のぼんやりしていたのでクビだとか…。
どうするんだよ、そんなことになったら食って行けなくなるぞ…。
単純な俺の頭の中は、何に対してもマイナスな考えに向かっていたらしい。


「え…、異動するんですか?」
「うん、僕がねぇ、別の店舗に行くから、副店長が店長になって…。」
「はぁ…。」
「だから次の副店長は藤代くんに任せようかなと思って。」

店長の異動の話をしたっかたのかと思いきや、その後に続いた話に一瞬動きが止まってしまった。
30代後半の店長は笑顔でさらりと言ったけれど。


「俺がですか?無理です!」
「そ、そんな即答しなくても…。」
「だってそんなの無理っすよ。」
「いや、君は真面目だしねぇ。あと、君のアレンジ、人気あるんだよねぇ…。」
「え…、そんなことないですよ…。」
「あるある!君自身も人気もあるし。若い男の子はいいねぇやっぱり。」

そこまで違わないのに若いと言われると妙な感じもする。
人気だなんて確証も自覚もまるでなかったから、否定し続けるだけだ。
自覚があるのもどうかと思うし…。
もしそうだとしたら、この店に店長の言う若い男というのが、俺しかいないせいだ。


「ちょっとだけ残業とか増えるかもしれないけど…、それだけこっちもちょっとは増えるし。まぁ考えてみてよ。」
「考えては…みますけど…。」
「考えてというか引き受けて欲しいんだけどね。」
「はぁ…。」

手で金を意味する形をしながら、ははは、と軽く笑って店長は店内へ戻ってしまった。
悩みの種が一つ増えてしまって、俺は溜め息を吐いた。
昔から頭は悪かったんだ、二つのことをいっぺんに出来るわけがない。
少し寒い作業場では、綺麗な花が大量に、俯く俺を見つめていた。









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