「ONLY」番外編「ハッピー・バースディ〜志摩編」-1




「志摩、志摩…。」
「んー……。」

4月の始めの、土曜日の朝だった。
隣で眠る志摩の肩を優しく揺すって起こす。
いつもは早起きの志摩も、俺が家にいる土日は寝坊することがよくある。
普段家事や仕事で走り回って疲れているせいもあるだろう。
いつもなら、そんな志摩を寝かせてやっているところだった。


「志摩。」
「んー……?…はやと……?」
「出掛けるんじゃなかったのか?」
「…んー、……ん?ハイっ!今起きますっ!!」

眠気に勝てなくて暫くもぞもぞしていた志摩も、俺の一言によって飛び起きる。
寝癖だらけで、ぽやんとした目で、無防備なことこの上ない。
瞼を擦る小さな手も、柔らかそうなピンク色の頬も、何だか食べてしまいたくなる。
俺が朝からそんなことを考えているなんて、志摩本人は思ってもいないだろう。


「…おはよう。」

この後に及んでまだ照れがあるのか、ぼそりと呟く。
志摩の髪をくしゃくしゃと撫でると、陽射しの匂いがした。
頻繁に干してくれている、布団と同じ匂いだ。


「えへへー、おはよー。おはよー隼人!」

途端に笑顔になった志摩が、挨拶をしながら抱き付いてくる。
出掛けようにも、これじゃあ何かしたくなってしまって、出掛けられない。
志摩は何も悪くないのに、責めたくなってしまう。


「わっ、もう9時?準備しなきゃ!」
「そんな急がなくても…。」

抱き締め返そうと手を伸ばすと、するりと志摩の身体が離れた。
自分から抱き付いて来たくせに、ずるいよな…。
慌てて洗面所に向かう志摩を見て、恨み言を思い浮かべる。
意識しないで俺を刺激するところが、志摩のいいところでもあり、悪いところでもある。
それは俺の我儘で、自分勝手な思い込みなんだけれど。


「だってせっかくのデートだもん!」
「あ…そう…。」

大きな声で叫びながら、「おはようのちゅー」もせずに志摩は洗面所に行ってしまった。
起こさなきゃよかった、なんて思ってしまったのは、志摩には内緒だ。
あんなに楽しそうにしている顔を見たら、言えるわけがないし、俺も楽しくなってきたからだ。

志摩の言うデート、の話が出たのは一週間ほど前だった。
本当なら、クリスマスの時に出ていた話だった。
クリスマスプレゼントだと言ってマフラーをくれた志摩に、何が欲しいと聞いたら、デートがしたい、そう言われたのだ。
志摩が何も言わないから俺も忘れていたし、しょっちゅう買い物だの何だのって、二人で出掛けていたから、俺からしたらデートしているも同じだった。
それが、3月の終わり頃、志摩の誕生日に何が欲しいと聞いた時に、またデートがしたいと言われて、延び延びになっていた。
いつでもいいよ、と言う志摩に甘えていたのかもしれないけれど。
志摩の誕生日は3月31日だ。
いつだったか、何の話をしていたのかは忘れたけれど、誕生日を聞いた。
でも拾われたのが31日だからもうちょっと早いかもー、そう明るく言う志摩に、少しだけ胸がせつなくなった。
施設にいた時誕生会も開いてもらったけれど、好きな人を過ごすのは初めてだと目を輝かせていた。
それなら俺は、誕生日は志摩の好きなことをさせてやろうと思った。
志摩の言うことを全部聞いてやろうと。
だけど今更改めてデートだなんて言われると、何だか恥ずかしくなってしまう。


「どこに行きたいんだ?」
「んっとね、水族館!」
「エビ見に行くのか?」
「うんっ!エビー、魚ー、あとペンギンも見たいなー。」

前の日になってやっと行き先を決めたもんだから、昨日志摩が寝た後こっそり起きてインターネットで色々調べた。
本当は俺も眠いというのが、何だか可笑しい。
志摩にばれないように、必死で欠伸を堪えたりして、何をやっているんだか。


「じゃあね、シマにゃん、お土産買ってくるからね。」
「み〜…♪」

だいぶ大きくなった猫のシマを、庭に放してやる。
最近ではよく外に遊びに行っているみたいで、猫のシマのことを気にせず出掛けられる。


「えへへ、楽しみだねー。」
「そうだな…。」

電車の中で、志摩は落ち着きがなかった。
自分のバッグの中をごそごそ漁ったり、携帯電話をいじったり。
まるで遠足に行く小学生みたいだった。
電車に乗って途中駅で一回乗り換えて、家を出てから1時間ほどして目的地の水族館に着いた。
都会のど真ん中にある水族館は、休みの日だけあって親子連れやカップルでいっぱいだった。
俺と志摩は、さしずめ友達か兄弟と言ったところだろうか。
見た目で歳も離れているとわかるし、似てもいないから、微妙なところだけれど。


「隼人、見て見てー、カメ!あっ、あっちに魚がいっぱいだよ!」
「志摩、走ると危な…。」
「だいじょ……わぷっ!」
「だから言ったのに…。」

案内図を片手にはしゃぎ回る志摩が、俺の忠告通り人にぶつかってしまった。
はしゃぎたい気持ちは俺もわからないでもないけれど、志摩の場合はそれを表に出してしまう。
素直でいいにはいいんだけど、それしか見えなくなってしまうのが玉に瑕だ。
よく転んだりするから、いつも気をつけろと俺も言っている。
本当に子供みたいで、手が焼けるのに、それがまた可愛いなんて俺もどうかしている。


「ご、ごめんなさいっ!…あー!!」
「…あ、バレた?」
「隼人、隼人、この人!テレビに出てる…。」
「しー。プライベートだから、内緒にしてくれねぇか?」
「は、ハイっ!わかりましたっ!」
「サンキュー。じゃあな。」

志摩がぶつかったのは、テレビでよく見る、いわゆる芸能人という人だった。
あまりテレビに興味がない俺でも知っている、若手ミュージシャンだ。
プライベートと言うからには、知られたらまずいってことで…。
恋人とデートか何かだと思うけど、隣にいるのは大学生ぐらいの男だ。
どう見ても男同士…、まぁ、それは俺も同じか…。


「隼人、見た?ミヅキだったよ、テレビで見るよりカッコいいねー。」
「うん…。」
「あっ!でも隼人の方がカッコいいよ?!俺にとって隼人はなんでも一番だもん!」
「バカ…。」

そんなこと、恥ずかしげもなく言うなよ…。
抱き締めたくてもできないのが悔しい。
キスしたくてもできないのが悔しい。
お前がこんなに楽しんでいるのに、今すぐ家に帰りたいって思っちゃうだろ…。
俺は溜め息を吐きながら、志摩の後をついて順路を進んだ。


「隼人、エビ、エビがいるー。美味しそうだねー。」
「美味しそうってな…。」
「見て見て、イワシがいっぱい!美味しそう!」
「食べることばっかりだなお前…。」

魚を見る度に志摩はそんなことを言う。
食べるのが好きだから魚を見たかったなんて言わないよな…。
次々に水槽を指差しては、目をキラキラさせて、俺の服の袖を引っ張る。
子供に付き合う親父っていうのはこういう気分なんだろうか、なんてしみじみ考えてしまった。







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