「ONLY」その後の番外編「sweet honeymoon」-1
「え?温泉…?」
ある日、藤代さんから呼び付けるメールが送られて来た。
まだ慣れない仕事が終わってすぐに帰りたかったけれど、
大事な話があるという内容だったために、家の近くの小さなカフェで待ち合わせをした。
バイトをやめる前まではほとんど毎日会っていたから、
なんだか妙な気分でその場所へ行くと、それは思いもしない話の内容だった。
「シロとこの間商店街でなんつーんだっけ、あの回すやつ?あれやってよー。」
「そういや何かやってましたっけ…。」
「福引きってやつか?したら見事一等だよお前。温泉ペア旅行券。」
「へぇ…、凄いですね…。」
今の仕事に就いてから、前よりも商店街には行かなくなっていた。
ほとんど家にいる志摩は買い物でよく行っているみたいだった。
時々駅で待ち合わせて一緒に帰ることはあるけれど、
俺としてはまだそういうのは恥ずかしさでいっぱいになるから、できれば避けたいことだった。
その志摩から最近福引きの話は聞いた。
あのガラガラ回して玉が出る機械でやっているのを、俺も何度か帰り掛けにちらりと見た。
その志摩はというと、六等、いわゆるハズレのティッシュばかり持ち帰って来ていた。
「それなのによぉ…、俺の仕事のせいで行けねぇんだよ。」
「え…、日にち決められてるんですか?」
「ムカつくよな、土日限定なんてよ。年中行けるようにしろっつぅんだよ。」
「まぁそうですね…。」
福引きもだけれど、旅行なんてものにはまるで興味がなかった。
興味がないというか、一緒に行く人間もいなかったから。
子供の頃、夏休みや連休なんかに、必ずと行っていいほど家族でする旅行ももちろんしたことがない。
同級生が自慢げに話すのも、羨ましいとも思わなかったし。
今でも特に行きたいとも思わないことだったけれど…。
少しの間なのに、なんだか藤代さんの言葉遣いまでもが懐かしく思えて来た。
俺は吸わない煙草を持つ仕草とか。
シロにも会っていないけど、元気でいるのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、藤代さんの話を聞いていた。
「つーことで水島、お前行って来い。」
「えっ、俺がですか…?」
「おう、俺とシロの分までシマたんとヤって来てくれよ?!なぁ水島ぁ〜。」
「ヤってって…。そんな泣きながら言われても…。」
「当たり前だろ、旅行っつったらそれしかねぇだろうが。」
「それは何か違うと思いますけど…。」
突然テーブルの上を拳で叩いて、藤代さんは悔しそうに言う。
せっかく手に入れた旅行券を使えないその悔しさはわかるけど…。
だからって旅行=ヤる、という式が出来上がっている藤代さんもどうかと思う。
いや、俺も多分、そういうことを考えると思うけれど、それをはっきりと口に出すのがこの人らしいというか…。
ある意味この人も素直ということなんだろうか。
「違わねぇよ、だってお前らの場合、新婚旅行だろ、し・ん・こ・ん・旅行!」
「いや、新婚って…俺は別に結婚したわけじゃないですけど…。」
「あぁ?同じだろ、いいんだよ結婚で。」
「はぁ…。」
藤代さんの言いたいこともわかる。
俺が志摩を自分の籍に入れると言った時、正確には志摩が話してしまった時だ、シロが羨ましいと言っていたのを慰めていたから。
この世界に戸籍なんてものがないシロには、できないことだったからだ。
「だから行って来い。このまま捨てんのも勿体ねぇしな。」
「はい…、じゃあお言葉に甘えて…。」
「ちゃんとヤって来いよ?!後で報告もしろよ?!」
「それはしませんよ…。」
ヤるとかいうことは別にして、藤代さんの厚意を受け入れることにした。
藤代さんが行けないと言っていた土日は、俺は丁度良く仕事が休みだ。
志摩も特に仕事や休みが決められているわけではない。
俺のばあさんに決められた管理人補佐という、つまりは雑用をやってのだ。
ただ問題は、このことをどう切り出すかだ。
旅行に行かないか?なんて、素直じゃない俺が言えるわけなんかない。
それでもきっと、話したら志摩は喜ぶだろう。
志摩の笑顔を思い浮かべながら、注文していたアイスティーを飲み干した。
「んじゃそろそろ帰るとするか。シロも待ってるし、シマたんも待ってるだろ。」
「そうですね。」
「あぁ、金はいいって。」
「すいません…。」
立ち上がって財布を取り出すと、藤代さんが制止した。
こういう時藤代さんは俺に支払いをさせない。
それがどうしてなのかわからなかった。
そんな気遣い要らないのに、そう思っていた。
だけど最近は、年下の俺から金は取れないという藤代さんの気持ちがわかるようになった。
それも志摩と出会って、人のことが考えられるようになったからだ。
「水島、お前案外その格好似合うな。」
「え…、そうですか…?堅苦しくてあんまり好きじゃないんですけど。」
「シマたん惚れ直したんじゃねぇ?決まってると思うぜ?」
「それは…、ありがとうございます…。」
ばあさんに無理矢理就職の手回しまでされて、毎日着ているというのに、スーツにはなかなか慣れることが出来ない。
その初日に、志摩が本当に惚れ直した、と言っていたことまで見破るなんて、
この人は、他人を含め、恋愛に関して常にアンテナを張り巡らせているんだろう。
なんだか感心までしてしまいそうになる。
「それとお前、だいぶ変わったよな。」
別れ際、藤代さんはそんなことを呟いた。
それは変わってくれて嬉しいという友達みたいな感じだ。
人にもわかるぐらい、俺が変わったのは、志摩のお陰だ。
そう思うと、早く帰ってあのおかえりの挨拶をして欲しくなって、
夕暮れの道を早足で帰った。
「えっ!シロ温泉当たったの?いいないいなー!!」
どう切り出すか、帰る途中でずっと考えた。
考えた結果が、こんな間接的な切り出し方とは、俺もつくづく素直になれない奴だと思う。
その話を聞いた志摩は、俺のコートと鞄を持ちながら、興奮している。
これは早く言ってやらないとな…。
「それで…、藤代さんが行けないからって、俺に譲るって言うんだけど…。」
「えっ!!ホント?ホントー?!」
俺にしては素直に言えた方だと思う。
このまま話を進めれば、志摩も喜んでくれる。
それでいつもより俺にべったり引っ付いて、たくさんのキスをくれる。
それはわかっているのに、ここまで来て意地悪したくなってしまった。
「やったー!隼人と温泉♪隼人と温泉ー!やったー!シマにゃん聞いてー。」
思った通り、志摩は先を読んでもうはしゃいでいる。
部屋の奥にいた猫のシマを抱き上げて、くるくる回って。
本当に、その感情表現は凄いと思う。
凄くて、可愛いと思っているんだけど…。
「まだ行くとは言ってないけど。」
「えっ!あ、そ、そうだよね…。そっか、俺バカだー。ごめんなさいっ。」
俺はどうすればいいんだ…。
志摩がこんなにしゅんとしている姿まで可愛いと思うなんて。
多分意地悪したくなるのも、その姿が見たいからだ。
色んな志摩を見たくて仕方ないから。
だけどやっぱりそれは可哀想だから、いい加減やめないといけない。
「いや、うん…、行こうとは思ってるけど…。」
「えっ!ホント?行くの?隼人、ホント?!」
「うん…、志摩さえよければ。」
「ハイッ!!ハイハイッ!!いいですっ、行きますっ、俺行きたいですっ!!」
猫のシマを床にそっと置いて、志摩は飛び付いて来た。
見たかった、志摩の笑顔がすぐ傍にある。
背の低い志摩は、ぶら下がるみたいにして俺の身体に抱き付いて離れない。
こういう行為も、嬉しいとは言えないけれど物凄く嬉しい。
「えへへー、お弁当何にしよう?」
「弁当はいらないだろ…。」
「あっ、そっかー、駅弁!何食べようねー?」
「食うことばっかりだなお前。」
俺の頬に繰り返しされるキスがくすぐったい。
首元でごろごろする志摩の髪を、くしゃくしゃと撫でた。
藤代さんの言うことを否定できなくなってきてしまった。
旅行どころか、今すぐにでも押し倒してしまいたいと思ってしまったから。
まだ志摩はセックス自体慣れていないから、その辺りは慎重にしないといけない。
だけども完全には抑え切れずに、抱き上げながら近くにある志摩の唇を夢中で貪った。
「んん…っ、隼人…っ、ん…ふ…。」
舌と唾液を絡めて、激しいキスを繰り返す。
志摩の顔から笑顔が消えて、代わりに瞳を潤ませてせつなげな表情になる。
真っ赤になったその顔もまた可愛くて、どうしようもない。
これ以上すると本当にここでしてしまう、そう思ってなんとか我慢した。
「あの、えっと、うんと、楽しみです…。」
「うん…。」
小さな声で、俺の耳元で囁いた志摩を、床に下ろしてぎゅっと抱き締めた。
結局俺達は、その次の週にその温泉旅行へ行くことを決めたのだった。
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