「ONLY」-18




それからは、時間が経つのが異常に早かった。
藤代さんのところで挨拶をした10日後には、俺と志摩は新しい家にいた。
とは言っても、志摩がシロと別れを惜しむ程の距離でもない。
主に不動産業を営む亡きじいさんの会社で、ばあさんが社長として最後にした仕事が、
この俺と志摩の住むマンションだったらしい。
こんな近場にあるところにしたのは、意図的だったのか単なる偶然なのか。
俺の素直じゃないところは父親に似たと思っていたけれど、
案外ばあさんもそうだと知ったから、多分聞いても教えてはくれないだろう。

しかもばあさんはもうこの日本にはいない。
結局あの時電話で話しただけで、その後は会社の人間が色々手配したために、
ばあさん本人とは一度も会わずに旅立ってしまった。
だけどこれぐらいがちょうどいいのかもしれないと思った。
今まで何年も連絡も取らなかった俺たちにはこの距離でいいんだ。


「隼人、おはよー、おはよーございます!」
「……ん…。」
「朝です、起きて、朝だよー、朝ですよー!」
「…うん……。」

俺はもちろん、志摩までもあのコンビニをやめてしまった。
なぜかと言うと、志摩に新しい仕事ができたからだ。
それもばあさんの策略の一つだったから、素直には喜べない自分がいる。


「隼人、どうしたの?なんか怒ってる?」
「別に…。」

大きなテーブルに並べられた朝食に箸を伸ばす。
志摩が早起きして作ってくれた、温かい食事だ。
別に豪華でも何でもない、よくある目玉焼きだとかハムだとか、一般的な家庭の朝食そのものといった感じだ。
そんなダイニングに、俺がいて、志摩がいて、猫のシマがいる。
それが俺にとっては何よりだった。


「えへへ、ご飯終わって隼人見送ったら庭のお掃除しよーっと。」
「………。」
「隼人なんか機嫌悪いね…。」
「別に。ばあさんがお前ダシにして俺をここに置こうとしたことなんか怒ってないけど。」

俺が逃げるとでも思ったんだろうか。
ちゃっかりばあさんはここが気に入った志摩にまで手回しして、管理人の補佐をやってくれないかと頼んで来たのだった。
もちろん志摩が嫌なんて言うわけがない。
それどころか俺の役に立つからと、喜んで返事までしていた。
なぜなら管理人は俺の名前になっていたからだ。
どうにかしてここに置いておきたかったんだろう。
こんな悪知恵を考えただけでなく実行できるんだから、絶対あのばあさんは長生きすると思った。


「あのー…、俺茹でてもダシなんか取れないよ?」
「は…?」
「あの、だから、俺茹でても美味しくないと思うんだけど…。」
「ぷ…、何だよそれ…、…ぷはは……。」

本当にどこまでバカなんだ。
俺の言葉をまともに受け取ってどうするんだ。
そんなんじゃこの先、俺以外と生きていけなくなっても知らないからな。
いや…、それでいいのか…。


「なんで笑うの?!隼人ひどーい、なんか俺変なこと……っ。」
「美味しい。」
「は、隼人…っ。」
「志摩は美味しいよ。」

またいつもみたいに、志摩の口元にご飯粒が付いていた。
それを取るのをいいことに、口の周りを丁寧に舐める。
唇まで舌先を滑らせて、キスをしようとした瞬間、志摩の震える手がそれを阻止した。


「ダ、ダメです…。」
「…どうして?」
「隼人、遅刻しちゃう…っ、だから我慢です…っ!」
「ぷ…、我慢してるんだ…。」

本当はキスしたくて仕方ないくせに。
腰の辺りをまさぐる俺の手に、思い切り反応しているくせに。
だけど志摩が言うことも確かで、このままいったら俺は止められなくなってしまう。
そしたら遅刻するのは確実だった。
そんなことまで考えてくれている志摩が、余計愛しくて仕方ないのが困ったところだけど。


「じゃあ俺も我慢する。」

真っ赤になっている志摩の頭をぽんぽんと軽く叩いて、部屋の奥へ向かった。
その後志摩が一人でぶつぶつ独り言を言っている姿が浮かんで、可笑しくて堪らなくなった。


「あの、隼人のそういう格好初めて見た…。」
「そりゃあそうだろうな、初めて着たから。」
「お、俺っ、惚れ直しましたっ!隼人カッコいいー!」
「…バカ……そんなハッキリ…。」

着慣れないスーツ姿に、志摩が目を輝かせている。
こんな堅苦しい格好、一生することなんかないと思っていた。
志摩は志摩で張り切って新しいエプロンなんか買ってるし、どこの新婚家庭だ、そんな突っ込みまで入れたくなってしまう。


「隼人、えへへー、いってらっしゃい。」
「我慢するんじゃなかったのか?」
「いってきますのちゅーは別だもん…。」
「まったく…。」

本当に我儘で子供で甘ったれだ。
だけどその志摩がいないと何もできない俺は、もっと我儘で子供で甘ったれだ。
志摩本人は気付いていないかもしれないけれど。
志摩の目を見ないようにして、頬にキスをして、そのキスを惜しみながら、玄関を出た。

人と関わるのが嫌いだった。
人を信じることができなかった。
寂しいという感情も知らなかった。
嬉しいだとか楽しいだとかいう感情も。
この先誰のことも本気で好きになることなんかないと思っていた。
こんな風に誰かを守りたいとか、一緒にいたいと思うことも。
好きで好きで仕方なくて泣きたくなることも。
ずっと傍にいたいと思うことも。

全部志摩が、教えてくれたんだ。
俺のたった一人の家族で、たった一人の恋人が。


「隼人ー!はい、シマにゃんもほら隼人だよ!」
「み〜っ!」

まだ入居者がそれほどでもないからいいものの、こんなところ見られたらどうするんだ…。
俺と志摩と猫のシマの住む7階から、志摩は恥ずかしげもなく大きな声を出して手を振っている。


「隼人ー、行ってらっしゃい!」

さすがにここで大声で答えるのはできなくて、返事の代わりに志摩の方を見上げた。
天高いところへ向かって昇り始めた太陽は、もう春の暖かさだ。
俺と志摩が目指す未来も、きっとこんな風に眩しい。
何度も聞こえてくる志摩の声を背にして、今、その一歩を踏み出した。







HAPPY END.(and HAPPY FOREVER.)


"Love Magic"series"Lies and Magic"version, All end.
Thank you,and see you next magic.







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