「約束」-18





「う…ん……。」

夏の太陽の光が、蒼の身体を照らしている。
瞼を開けると、その眩しさが視界に飛び込んで来て朝になっていることに気が付いた。


「あれ……?」

葵に何度も犯される中、三度目の熱を放ったあたりから記憶がない。
どうやら失神してそのまま眠りに就いてしまったようだ。


「…いた……っ、いった……。」

身体中のあちこちが軋むように痛む。
下半身には鈍痛が走ったまま、手首は予想通り鬱血している。
セックスの最中に激しく動いたせいで、布が擦れた痕がヒリヒリとする。
蒼が眠っていた頭のすぐ近くには、解けた葵の服が散らばっていた。
それから破けてしまった自分の服の欠片と、濡れたままのシーツ。
あれからもう何時間も経ったというのに、まだ身体が汗で濡れているような気がする。
汗だけじゃない、放たれた精液まで身体の中にも外にもべっとりとへばり付いて離れないみたいに。


「葵ちゃ……?どこ……?」

その激しい痛みに、蒼は暫く蹲ったまま起き上がることも出来なかった。
まだ頭が朦朧とする中で、葵の姿を探す。


「え……?」

いくら朦朧としていても、目の前の状態ぐらいははっきりとわかる。
葵の姿は部屋中どこにもないことぐらいは。
それどころか、ベッドが綺麗に片付けられている。
いつもは葵は面倒だと言って、起きたままにしている。
今日はそれが、布団をきちんと半分に畳んで上げているのだ。


「何…?これ…。」

いつもと違うのはベッドだけではなかった。
机の上にも物がほとんどなくなって、やっと起きて目を向けた床にダンボールの箱が幾つか置いてある。
まるで、引っ越しをする時みたいな…。
それは夜中から朝まで、急いで支度をしたように見えた。
ダンボールの箱の蓋はされていないものもあれば、余ったのか使っていないものもある。
服を入れておくロッカーの扉が開けっ放しになっていたり、引き出しも同じく開けっ放しだったり。
おそらく蒼が眠ってから、葵は眠ることもせずにやっていたのだろう。


「嘘……!」

また…退学…?
また学校をやめてどこかへ行くっていうの…?
それはどこに?
僕の前からいなくなってどこに?
また僕は、一人になってしまう…?!


「…かないで…。」

置いて行かないで…。
一人にしないでというこの思いを、葵はわかっていると思っていたのに。
酷い不安を覚えて、蒼は痛む身体を無理矢理起こした。
部屋の中を引きずるようにして、急いで服を着る。
そしてブツブツと独り言を呟きながら、すぐに部屋を飛び出した。








「本城さんっ!本城さんっ、起きてますかっ!寮長っ!!」

迷いもなく目指したのは寮長である本城の部屋だった。
この場合、寮長というより葵の従兄として、と言った方が正しいかもしれない。
他の生徒と人付き合いをほとんどしない葵が唯一信頼している人物が本城なのだ。
彼なら何か知っているかもしれない。
いや、彼以外に知る人もいなければ、自分と葵の関係を知っている彼以外に聞く人がいなかった。
ドアが壊れるぐらい激しく叩いて、本城の名前を叫ぶと、すぐに中から彼は現れた。


「あれ…?殿村くん…?どうした…。」
「葵ちゃんっ、葵ちゃんがどこに行ったか…、どこに行ったか知ってますよね?!」

眠い目を擦りながら出て来た本城のパジャマを掴みながら、蒼は責め立てる。
既に本城は知っているものだという前提なのは勝手な話だったけれど。


「え?知らないよ…?何?あいついないの?」
「と、とぼけな…で下さいよ…っ!本城さん…知って…ことぐらい僕だって…。」

本城が知らないわけがない。
何も悪くない本城を悪者にするかのように蒼は責め続ける。
肩で息をしながら、言葉を途切れさせながら。


「いやいや、とぼけてなんかいないって。どうしたの?葵がいないって?」
「そんなしらばっくれないで下さい…!どうしてそんな嘘吐くんで……ん…っ!」

勢いにまかせて本城の襟首を掴もうとする蒼の手首が、逆に本城に掴まれた。
荒げる声が一瞬にして消えたのは、本城の唇によって塞がれてしまったから。


「ん…っ、ほん…っ、や…っ!」

普段の穏やかで温厚な本城からは想像も出来ないぐらい激しくて深いキスだった。
葵のするものとはまったく違うのに、どこか似ている気さえするような…。
濡れた音をたてて唇を吸われているうちに、クラクラと眩暈を起こす。


「そんなに好きなの?葵がそんなに好き…?」
「やめ…っ、やめて下さ…っ、やだ…っ!!」

めずらしく強い眼差しの本城に、危うく流されてしまいそうになった。
それでも頭の中で考えるのは葵のことだった。
蒼は自分の唇をを貪ってくるその唇を、がりりと思い切り噛んだ。
キスから解放させるためと、自分の目を覚まさせるために。


「…いったー…。」

顔を歪めた本城がすぐに唇を離すと、そこから鮮血が滲んでいる。
そしてすぐに傷口から溢れ出した血の色を見て、現実へ戻ることが出来た。


「ご、ごめんなさい…!すみません僕…!」
「いや…、結構強いんだね君…。びっくりするじゃない。」
「本当にすみません!僕どうかしてて…。」
「慰めてやろうと思ったんだけど…こんなんじゃその前に君に殺されるかもね。」

苦笑いを浮かべる本城に、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
キスをしてきたのは本城だけれど、ここまですることはなかったかもしれないと。
蒼は俯いたまま、暫く何も言うことが出来なかった。


「俺は本当に知らないよ。」
「でも…。」
「本当だって。俺は嘘は吐かないよ?」
「そう…ですか…。」

本城の言っていることは本当だろう。
唇を噛まれても嘘を吐き通すとは思えない。
それよりも何よりも、本城が自分で言う通り、本城は嘘を吐く人間ではなかった。
誤魔化したり、本当のことを隠していただけで、嘘を吐いたことは一度もなかった。
それをわかっていたはずなのに、葵のことになると何も見えなくなってしまう。
それは恋の強さであると同時に、恐ろしさでもあると思った。


「あの…、さっき僕が強いって言いましたよね…?」
「ん?あぁ…、言ったけど…。」

がっくりと肩を落として、蒼は本城の部屋のドアに手を掛ける。
この人に聞いても、何もわからないとわかったからだ。
それに、自分達のことを巻き込むのは失礼だと思った。
こんなのは周りから見ればただの痴話喧嘩にしか思えないかもしれないからだ。
それからもう一つ、もし蒼の考えていることが正しければ…。


「それは多分、葵ちゃんのお陰です…。葵ちゃんが、好きだからです。」

失礼しました、と付け加えて、蒼は本城の部屋を後にした。
最後に強く言ったのは、本城に対してはっきりしておくため。
自分は葵のことが好きで、自分には葵が必要だと。
ずっと傍にいて葵を見てきた本城が、葵に対して特別な思いがあるとしたら。
本当のことを言わない本城だからこそ、意地悪でキスをしたのかもしれないと思ったのだ。


「ふー…ん。」

蒼の言葉を聞いて当の本城はと言うと、複雑な気分だった。
あんな風に言われたら、勝てる気がしない。
別に勝つつもりもなかったけれど、あの蒼があんなに強い目をするなんて…。
自分は彼を見くびっていたのかもしれない。
弱くて脆くて、誰かに優しくされたらふらりといってしまいそうだと思っていたのだ。
それを変えたのは葵というわけだ。


「うーん…、誰か来たのー?」
「あ、ごめん、起こしちゃった?」

死角になっているベッドの上で、男子生徒が欠伸と共に眠そうな声を上げる。
本城と同じ三年生で、同室の生徒だった。
今のやりとりを聞いていたなら、誰でも起きてしまうだろう。


「どうかしたの?」
「いや…なんでもない。っていうか恋って凄いよねぇ。」
「何?突然…。」
「だから恋だって。」

きょとんとする彼の顔を見て、本城は微笑を浮かべた。
時間はまだ朝の6時。
授業までにはまだ時間がある。
もう一眠りしようと、その温かいベッドに潜り込んだ。







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