「ウェルカム!マンション」-10









結局俺は、退学の考えは保留にすることにした。
大学でやりたいこともないけど、辞めてやりたいこともまだ見つからないからだ。
もしかしたら大学でやりたいことができるかもしれないし。
それまでは今まで通りのほうがいい気がする。
でも、いずれにしてもこのマンションの建て直しの時、紫堂さんと…、いや、みんなと一緒にいれたらたらいいな、と思う。


「悠真、大丈夫か?」
「…え?あ、あぁ、ハイ…。」

今日は日曜日。
庭でそんなことを考えながらボケッとしていた俺を、心配した紫堂さんが顔を覗き込んで来た。
ちょうどよく紫堂さんも今日はオフというやつらしい。
俺に合わせたり…なんて、するわけはないと思うけど。
やっぱり休みに日に一日一緒にいられるっていいな。
梅雨という季節の中、これまたいいタイミングで今日は絶好に晴れ晴れしている。


「紫堂さんは…、早くお母さん見つかるといいですね…。」
「なんだ突然??」
「いやあの、翠さんから、前に聞いちゃったんです。」
「あぁ、昔の話だろ。今は別になんとも思ってねーよ。」

強がり…かな、意地っ張りかな…。
ホントは寂しいんじゃないの?紫堂さん。
俺の前だけでも、そういうところ、見せてくれてもいいのになぁ。


「今は好きでやってる仕事だから。昔のことでウジウジしたって仕方ねぇし。」

そういえばすっかり忘れてたけど、 俺も色々あったんだよなぁ…。
親父…、母さんも、元気でやってるかな。
でも向こうからしか連絡取れないし。
気長に待つしかないか…。
悪い知らせがないってことは大丈夫ってことだよな。
俺も随分明るく考えられるようになってきたな。
それも全部、ここに来たからだ。
マンションの住民みんなが、貧乏でも、明るく楽しく暮らしてるから。
それを考えると、親父には悪いけど、貧乏になってよかったのかもしれない。
紫堂さんとも、出会えたし…。


「俺も、ここの建て直しの時、何かしたいです。」
「へぇ、随分進歩したな、来た時あれだけ嫌がってたのに。」
「それは言わないで下さいよー…。」
「夕メシ食って泣いてたよな、お前。」

まったくもう…ホントに意地悪なんだからな。
ニヤニヤ笑った顔さえカッコいいんだもんな。
俺の恋人は。
まぁ、芸能人だしな。
こんなところに住んでるけど。


「だから、建て直しの時もいていいですか…?」

俺みたいな一般人なんかどこがいいんだろう?
その一般人なところだ、と紫堂さんは言う。
俺みたいに純で反応が素直な奴は初めてらしい。
それって褒められてんだかバカにされてんだか…。
嘘やいい加減な世界に囲まれてて、この場所だけがホントの紫堂さんになれるんだ。
それなら俺、バカにされたままでいいや。


「当たり前だろ。」
「紫堂さ…。」

木の陰でみんなから見えないのをいいことに、紫堂さんはキスしようと、俺に近付く。
日陰で涼んでいたハズが、あっという間に額に汗が滲む。
この人が、すごく好きだ、俺…。



「おーい悠真ー?」


「な…っ。」
「チッ、邪魔しやがって、翠さんめ。」

今日も翠さんの呼ぶ声が聞こえて、紫堂さんはオアズケくらった動物みたいだ。
翠さんの隣には遥也くんがいて、周りでは裕己くんと健太くんが相変わらずベタベタしている。


「今回はお前が書け。」

ほら、と、ペンキのたたっぷりついた刷毛を渡される。
地面には、真新しい木に板。
今回は…、次回は…、ずっとこの中にいたい。
ペンキ特有のつんとした匂いが、鼻を掠めた。
あの日初めて見たボロい看板は、こうして何度も生まれ変わる。
人間が何度もやり直せるように。
そんな思いを込めて、俺は思い切り太い字で書いた。



─ウェルカム!マンション─



それを見て、やるな悠真、とちょっと悔しそうにしている紫堂さんが、今日も明日も明後日も、隣にいるといい。
見えない未来に向かって、そう心から願うだけだ。





なんと3年後、俺たちは本当にマンションを建て直すことになる。
もちろん、そんなことはまだこの時は予想もついていない。












END.








back/index