「制服」








貴女のことは、一生忘れないと思います。
何年経っても色褪せない、あの白い色みたいに…。




近年の温暖化現象で、その年の夏はとても暑かった。
額の汗を掌で拭いながら、キャンバスの奥の対象物を見つめる。


「疲れましたか?」
「ううんいいよ、まだ平気。」

先輩、貴女のその視線は、今だけは私のためですよね?
心の視線までは向けられてなくてもいい。
今だけでいい、貴女のことを独占できるのなら…。


先輩が、好きです。

同じ美術部の先輩に告白したのは、二週間前のこと。
先輩が両親の仕事の関係で遠くに行ってしまうと聞いたから。
後悔しないように、そう思ったから…。


ごめん、詩織…。

わかってる、だって先輩も私も女の人だもの。
でもそれでも好きになってしまったら、この思いは 一体どうすれば報われるというの?
わかっていても、すぐに納得なんてできなかった。
自分が悪いのに、相手を責めてしまった。


気持ち悪いですもんね。

私が女だから。
これが男の人だったら、きっと先輩は断らなかった。
軽蔑される。
だけどそれで嫌われて、諦めがつくならいい。
諦めがつかないと思うから、こんなに苦しい。


違うよ。
無理しなくていいです。ただ…、ただ一つ、お願いがあるんです…。

無理しているのは自分も同じだった。
笑顔を見せながら「絵を描かせて欲しい」と言うと、意外にも先輩は承諾してくれた。

先輩の長い栗色の髪、よく見ると茶色に透けた瞳、制服の白…。
すべてにおいてこの人は透明だと思った。
持っている中で一番最初に買った水彩絵の具を使って、この人のすべてを表現したいと思った。
安い絵の具も、その対象物がよければどんな色でも生み出せる。
先輩は、そんな人だ…。

そしていよいよ絵が完成に近付いて、同時に先輩との別離をも指す。
美術室は暗くて、蛍光灯がないとだめな教室だったけれど、先輩にそれは似合わない。
蛍光灯なんかなくても、先輩は輝いているから。
背景は、窓から見える夏空。
太陽が燦々と照っていて、雲がお化けみたいに動いている空。


「綺麗ね…。」
「先輩のお陰です。」
「違うよ、詩織の実力でしょ。」
「そんな…。」

それは先輩が好きだから。
この思いの全部を込めたから。
届くことのない思いだけど、精一杯込めたから。


「あのね、この間のこと…。」
「え…。」
「詩織のこと気持ち悪いなんて本当に思ってないよ。」
「それじゃあどうして…!」

どうして私じゃだめなんですか…?
再びあの時の醜い自分が蘇る。
先輩はいつもの微笑で髪を撫でてくれた。
触れられた髪から体温が上昇していくみたいで、胸が苦しい。


「いつか憧れと恋の違いがわかる時がくるから。」
「違います、私は…!」

制服の白が視界いっぱいに広がった。
柔らかい先輩の肌が今までで一番近くにある。
窓の外で蝉がうるさく鳴いて、心臓の音を消してくれてるみたいだった。


「さよなら。」

そして何も言えずに、その腕は離れた。







先輩、お元気ですか。

あれから私は絵を本格的に勉強して、描いた作品はそこそこ売れています。
今年初めての個展を、あの育った街で開催することになりました。

先輩とさよならしてから10回目の夏。
私の隣には、今度変わる姓の人。

先輩、私ね、今ならわかるんです。
貴女が言った言葉の意味。
決して憧れだけではなかったと思うんです。
でも結果的に今はこの人と一緒にいて幸せだと思うから…わかるんです。
そういう意味で、貴女は恋を教えてくれた人です。


「…あ。」
「どうした?」

出せない手紙を胸の中で反芻しながら車を止めると、通っていた学校の生徒が熱いアスファルトの上を歩いている。
10年経っても変わらない制服が、太陽の光で白く輝いている。


「あの子ね、私の後輩みたい。」
「へぇ、そうなんだ。」

展示する絵とは別に、車のトランクから大事に持ってきた一枚の絵を取り出す。
それはあの時の自分の思いを精一杯込めた先輩の絵だ。


「珍しいな、水彩なんて。」
「ふふ…、綺麗でしょ?」

あの時の先輩は、今もキャンバスの中で微笑を浮かべている。
その背景が時を経たこの空の色と溶け合う。
制服はまるであの時よりも透明な色になって、眩しく光っているように見える。
それは一生変わらない。
この絵の色が褪せても、思い出は変わらない。
ずっと変わらない。


だから貴女のことは、一生忘れないと思います。








END.





/index