「DARLING」番外編1「HONEY」…昼編
俺が今の仕事に就いてから、半年が過ぎようとしていた。
ばあさんの策略にまんまと嵌ったと知った時は、それはもう腹が立ったものだった。
だいたい今までそんなきちんとした会社だとかに勤めたことなんかなかったのだ。
まず面倒な人付き合いだとかをしなければいけないのが嫌だった。
その点前に勤めていたコンビニはバイトで気楽なものだったけれど、
いつまでもそんなことではいけないというのはわかってはいた。
それでも生活する上で不自由はなかったから、まだ大丈夫だろうという思いでコンビニでのバイトを続けていた。
そんな俺が渋々でも承知したのは、志摩のせいだ。
志摩が今住んでいる家を気に入ってしまったから。
志摩が喜ぶなら俺は住むのはどこでも構わないと思っていたし、
ばあさんの言う通り今まで嫌な思い出しかない家を出るのもいいと思った。
だからその決意は結果的にはよかったということになる。
つまりは志摩のせいというか、志摩のおかげと言った方がいいかもしれない。
「はー腹減った。今日の弁当何かな。」
「メニュー出てただろ?中華じゃなかったか?」
会社では、全員でいっせいに昼休みに入る。
それも俺にとっては初めてのことだった。
コンビニは24時間営業だから交代で休みをとって店に出ていたのだ。
しかしいくら仕事によって環境が変わっても、そうそう人は変われるものではない。
俺は相変わらず人付き合いが苦手で、率先して誰かと仲良くしたいとも思わない。
仕事帰りに同僚と飲みに行くこともなければ、休憩時間に誰かと一緒にいるようなこともない。
世間一般的に見ればあまりいいこととは思えないが、俺としては必要ではないと思っているからだ。
俺には志摩さえいれば…そう思っているから。
ただ俺のこの考えを志摩に押し付けのようになっていないかは心配だった。
昼休みは、外に食事に出掛ける者もいれば、近くのコンビニに買いに行く者もいる。
それから家から弁当を持って来る者もいるけれど、大半は会社で注文している弁当を頼むようだ。
割安で案外味もいいと評判を聞いたことはあったけれど、俺はまだ一度も食べたことはない。
そしてその人達の大半はフロア毎にある休憩室で食べている。
俺もその中の一人で、毎日志摩特製の弁当を持ってそこで過ごすことにしていた。
始めの頃こそ恥ずかしいからやめてくれだの作らなくていいだの言っていたこの弁当も、
気が付けばコンビニの仕事をしている時からだから、そろそろ一年にはなろうとしている。
弁当だけでなく志摩の作る料理は、お世辞抜きにしても美味しい。
ただそれを口に出して言ったことはほとんどないだけで、感謝はしているし、今ではなければならないものにもなっている。
もう少しだけそんな風に思っていることを言うことが出来たらいいのだけれど…。
俺は今日も、今日は何かと楽しみを胸に抱きながら弁当の蓋を開けた。
「な……!」
なんだこれは…!!
あれほどこういうのはやめろって言ったのに…。
いや、今回のは今までとはちょっと違うタイプかもしれない…。
「………。」
俺はその弁当を見た瞬間、すぐに蓋を閉じた。
今までにも何度もこういうことはあった。
志摩がご飯にハートだの俺の名前だのを描いたりするから。
こんなもん恥ずかしくて食えないと、コンビニのバックルームでこそこそしながら食べていたのを思い出す。
最近ではそれも減って来て、安心し過ぎていたのかもしれない。
真っ白なご飯のキャンバスには、ハムやチーズでウサギやクマが描かれていたのだ。
おまけにところどころにハートまで散っていた。
今朝志摩が「ハムが可愛い」と歌っていたのはこれだったのだ。
これをこの場で食べろと言うのか…?
それは絶対無理だ…。
だからと言って捨てるなんてことはもっと出来ない。
食べないで持ち帰るなんてことをしたら志摩が落ち込むのなんか目に見えている。
泣き虫な志摩のことだから、俺の目の前で声を上げて泣いてしまうかもしれない。
いや、逆に気を遣って俺の見ていない場所でこっそり泣くかもしれない。
俺は仕方なくそれを持って休憩室を出た。
通路を歩いてどこかで食べられる場所はないかと探そうと思ったのだ。
「あ……。」
俺の目に止まったのは、屋上へと続く階段だった。
そういえば他の社員が時々そこで食べているなんてことを聞いたことがある。
誰もいないことを祈りながら、俺はその階段を昇って屋上を目指した。
「はー……。」
日頃の運動不足のせいか、たったこれだけの階段で息が切れる。
だからと言って運動する気もないから困ったものだと自分でも思う。
俺の祈りが通じたのか、そこには人一人もいなかった。
このところ天気が不安定だったせいかもしれない。
もう夏も終わり涼しい風が吹いていて、日中でも暑いと感じることもなくなった。
こうして季節が変わって時が過ぎて行くのを実感することなんて今までなかった。
暑いだとか寒いだとかは思っても、それに対して何も思わなかった。
志摩が来るまでは…。
「…いただきます……。」
志摩のことを考えていたら、まるで今ここに志摩がいる気分になってしまった。
そう思ったらなんだか「いただきます」と言いたくなったのだ。
俺の隣にはいつも、大きな口を開けて笑顔で食べる志摩がいる。
口の周りにベタベタ食べ物をくっつけたり、食べながら喋ろうとして咽たり。
「あーん」なんて言って俺に無理矢理食べさせようとしたりして…。
俺はいつからこんなに志摩なしで生きていけなくなってしまったんだろう。
会社に来てまで志摩のことばかり考えているなんて。
こんなこと、志摩本人どころか誰にも言えない…。
その時ポケットに突っ込んでいた携帯電話が鳴った。
仕事のことかもしれないと思って着信音は切らないようにしているのだ。
しかし液晶画面を見るとそれは今まさに考えていた志摩からだった。
俺が会社にいる間は電話をすることはほとんどないから、何かあったのかと心配になってしまった。
「はい。」
『あっ、隼人ー!』
「何?どうし…げほっ。」
『あの、今お昼かなーと思って…会社なのにごめんなさいっ。あのね、あのね…!』
電話の向こうから聞こえる志摩の声がやたらリアルで、急に恥ずかしくなって咽てしまった。
俺に聞いてきたように志摩も今頃、昼ご飯の時間なのだろうと思った。
今日も俺とお揃いだとか何だとか言って、この弁当と同じものを食べているに違いない。
「何かあったのか?」
『ううんあのね…。お、お弁当…のことなんだけど…。』
「あぁ、あれか…。」
『うんと、えっと…。』
俺に怒られると思って、自ら反省して電話をして来たのだろうか。
そんなことが出来るようになったなんてはっきり言って驚きだった。
時が経つごとに志摩も成長しているということなのかもしれない。
なんだか寂しいようなくすぐったいような感じだ…。
それでももごもごとどもるのが可愛くて、電話なのをいいことに俺の顔は緩んでしまった。
責めたりしないで許してやろうと、いつもなら怒っているところを今日はやめておこうと思った。
「もういいよ、わかったから。」
『よかったー、気に入ってくれたんだー?』
「…は………?」
『あのね、ああいうの今流行ってるんだってー。俺自信なくって…でも隼人が褒めてくれたから嬉しいー!』
待て…。
俺がいつ褒めたんだよ…。
しかも自分だけベラベラ喋って俺の言うことなんか全然聞いてないし…。
あれほど普段から人の話がちゃんと聞けって言ってるのに。
それでなくてもお前は頭が悪いんだから…。
「あのな志摩…。」
『可愛く出来たか自信なかったのー。あのね、ウサギの耳のハムがね、切るの難しかったのー。』
「可愛いとかそういう…。」
『ああいうのだと隼人も楽しいかなって思って…。一人のご飯でも寂しくないよね…?』
あぁそうか…。
俺が一人で過ごしているのを志摩はわかっていたのか。
それで少しでも俺が楽しくなるようにと思ったのか…。
俺は好きで一人でいるのに、勝手に心配してそんなことを考えていたなんて…。
志摩はやっぱり馬鹿だ…俺のことばかりこんなに考えて…。
でも俺は安心してしまった。
志摩も俺と同じように俺ばかりだと思うと、俺の考えが押し付けではないと思うと嬉しくなってしまったのだ。
「志摩…。」
『はいっ、はいっ!志摩ですっ、何?隼人何ー?』
もう細かいことで怒るのはやめようと思った。
俺が一人でいるのは自分がいいと思っているからで、この弁当だって自分がよければいいんだ。
だからって皆の前で堂々を食べることは出来ないと思うけれど、志摩がしてくれたことを無駄にすることはやめよう。
作ってくれていることにもっと感謝をしなければいけないのに、当たり前になってしまってそんなことまで忘れてしまっていた。
「その…今日は定時で帰れるから。」
『はいっ!待ってます!待ってるね隼人ー。』
それでも俺は素直になれなくて、適当なことを言って誤魔化して電話を切った。
俺の目の前には志摩が描いたウサギとクマとハートが並んでいる。
それは志摩の思いがたくさん詰まった、俺にとっては宝箱みたいなものだ。
志摩、いつもありがとう。
家に帰ったら言おうと思っている言葉を思い浮かべながら、それをゆっくりと口に運んだ。
END.
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