「A distress of a daddy」-2




「あー隼人くんだ!」
「おっ、ホントだ。」
「え…?シ、シマ…?」

俯いていた頭を上げると、そこには見覚えのある二人が立っていた。
派手な柄シャツを着た大人と、まだ小さい子供みたいな…。


「あのね、アオギとお買い物に来てたのー。」
「たまには人間界の空気も恋しくなるわけよ。なぁシマにゃんこー?」
「あ…そう…。」

人に紛れていればこの二人が猫だなんてことはまったくわからない。
特に猫神様は街にいる柄の悪い兄ちゃんみたいで、どう見ても猫にも神様にも見えないのだ。
こんなに慣れてしまっていいのかどうかは別として。


「後で隼人くんのところに行こうと思ってたんだよー。」
「そうそう、そのために来たんだもんなぁ、街に。」
「え…?どういうことだ…?」
「あ…えっとー、僕にとって隼人くんはお父さんだから…えへへっ。」
「志摩ちゃんはお母さんってところだよな。」
「……?」

そんなことを言われても何がなんだかわからなかった。
確かに俺と志摩は、このシマにとっては親みたいなものかもしれないけれど…。
俺が戸惑っているのを見た二人が、顔を見合わせている。


「あの…、もしかして隼人くん知らないの?」
「え?何がだ?」
「今日何の日か。」
「今日…?日曜だけど………あ。」

街をうろついていていたるところで見掛けた今日の日のことを書いた目立つ字が、俺はまったく目に入らなかった。
自分には生まれた時から関係ないものだったし、これからも関係ないと思っていたから。


「あのね、あとでプレゼント持っていくね。」
「楽しみにしてろよー。」
「あ…、うん…。」

シマは背伸びしながら俺の耳元で囁いて、猫神様と行ってしまった。
こんなところで手を繋いでいるのはどうかと思うけれど、無理すれば親子に見えないこともない。
そう、その親子というのがキーワードだった。
今日は第三日曜日、父の日で、家にいる志摩もそれをしたかったのだ。
血は繋がっていなくても戸籍上では俺は志摩の父親だ。
今までは無縁だったけれどイベントの類が大好きな志摩のことだから、今年は参加出来ると張り切って準備をしているのだろう。
それを思うとなぜだか志摩の行動が可笑しくなってしまった。
そして今頃家の中を走り回っている志摩を想像すると、家に帰るのが楽しみになった。






「ただい…。」
「隼人ーおかえりなさい!!」

そろそろ日も沈み始めた頃、志摩の待つ自宅へと戻った。
ただいま、を言い終わる前に志摩が走って来て、俺の身体に飛び付いた。
自分から追い出しておいておかえり、というのも変な話だ。


「隼人、おかえりー、おかえりー。」

頬を摺り寄せてごろごろ言う、いつもの猫みたいな志摩の仕草。
暑苦しいだのしつこいだの言っているけれど、本当はこの感触が気持ちよくて堪らない。


「おかえりなさい。」
「志摩…、その格好…。」
「あっ、これこないだ買っちゃったの。新しいエプロンー。似合わないかなぁ?」
「似合うとか似合わないじゃなくて…。」

腕に今までにない感触を覚えた俺は、一度志摩を離してじっと見つめた。
確かに志摩は可愛い。
女みたいな顔をしているし、クリスマスにはサンタクロースの格好もしていた。
あの時は他の奴の前でそういう格好をするなと怒ったけれど、それは俺の前でも同じだ。
ノースリーブとショートパンツのせいで、新しく買ったヒラヒラのエプロン一枚だけに見えてしまう。
目のやり場に困るというのはこういうことで、志摩が男だということも忘れてしまいそうになる。


「あっ、あのね、早く早くー!」
「うん…。」

そんな俺の醜い欲望なんてお構い無しに、志摩は俺の腕を引っ張る。
玄関に靴を脱ぎ捨てて部屋の中へ進むと、途端にいい匂いが漂って来た。


「えへへー、見て見てー。」
「すご……。」

一体誰がこんなに食べるんだ、と言いたくなるぐらいダイニングテーブル一杯に食事が乗っている。
志摩が飾り付けをしたのか、花まで置いてある。
おまけに小さい頃に幼稚園で作った折り紙の輪っかの飾りまで。
最近俺がいない日中に、それを作っている志摩の姿がすぐに思い浮かぶ。
テレビをつけながら、お菓子を食べながら一生懸命作ったのだろう。
探せば絶対にお菓子のくっ付いた輪っかが見つかると思った。


「あの、これ…。」
「え…?」
「うんと、ちょっとじっとしてて下さい。」
「志摩…?」

立っているのもなんだからと、とりあえず俺は椅子に座った。
近くに置いてあった包みを、志摩が開けて俺の元へ持って来る。
そして目の前の志摩が、俺の首の後ろに手を回した。


「父の日ってやっぱりネクタイかなぁと思ったの…。」

初めて経験する日にどこか照れながら、志摩がネクタイを掛けた。
おそらくシロか銀華さんに選ぶのを手伝ってもらったのだろう。
シンプルな柄の紺色のネクタイは、志摩にしては趣味がよかった。
別にわざわざシャツなんか着て行かなくたって、この場で着ればいい話なのに。
それを言うなら、別にシャツなんか着なくてもいい話なのに。
本当に馬鹿で一生懸命なんだから…。


「あれー?あれれ…?あれー?」
「ぷ…、違う、こうだって。」

ネクタイを締め始めた志摩だったが、なかなか上手く出来ない。
俺もまだ慣れたわけでもないけれど、今は平日は毎日締めている。
もたもたする志摩の手を取りながら、着ているシャツに締めて行く。
やっぱり普段着のシャツだったから不格好だったけれど、志摩は満足気だった。


「あのね、ケーキも作ったの!」

父の日にこんなに張り切る子供が世の中にいるんだろうか。
そういう俺も未経験だから普通がどれほどのものかわからない。
まさか初めての父の日が、自分が感謝される方だとは思ってもみなかったけれど。


「隼人は俺のお父さんだもんね。」

膝の上に乗って志摩が抱き付きながら耳元で言う。
志摩の唇が俺の耳朶に触れそうで、心臓がドキドキ鳴っている。
僅かにかかる息が鼓膜の奥まで届いたみたいに響いている。
ダメだ、また…。
また志摩をこの場でめちゃくちゃにしたくなってしまう。
そのエプロンを取り去って、明るい部屋の中で全部を見てみたい。
後で猫のシマと猫神様が来ると言っていたから、その前になんとか一度ぐらいは出来るだろうか。
俺の頭の中はまたしてもそんなことばかりだった。


「志摩…。」
「あの、いつもありがとう…、お、お父さん。」
「え…。」
「えへへー、なんか照れるねー、じゃあ隼人お父さん!」

しかし俺がエプロンに手を掛けた瞬間、その欲望が完全に止められてしまった。
志摩が不思議そうに見つめているけれど、俺の本心は知らないだろう。
「お父さん」なんて、そんな風に呼ばれたら悪いことが出来なくなってしまうってこと。


「早く食べよー?エビフライもあるよ!」
「それはお前の好きなものだろ…。」

出ていた手を泣く泣く引っ込めて、俺は志摩と食事を始めた。
あのシマもやっぱり俺のことをお父さんと呼ぶのだろうか。
俺は複雑な思いで、志摩手作りのエビフライを口にした。
だけど今日はいいことにしよう。
志摩が嬉しそうで、俺も嬉しかったからいいことにする。
その後数分してインターフォンが鳴って、外で猫のシマが叫ぶ声が聞こえた。






END.





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