「ONLY」番外編「イノセント・ベイビーズ」




本当のことを教えてやらなければいけないのに、ずっと避けてきたことがある。
志摩と身体を繋げるようになって、それを知ってからずっと。
それは志摩を傷付けたくない思いやりなのか、そんな志摩を見たくないという俺の逃げなのか。
いずれにしろ、このままずっと隠し通せるとは思っていなかった。


「隼人、おかえり、おかえりー。」
「ただいま。」

温泉旅行から2週間ほど経ったある日、いつものように仕事を終えて帰宅した。
ご飯の準備をしていた志摩は、おたまを持ったまま、玄関で出迎える。
靴を脱いでいる俺の後ろから、ぎゅっと抱き付いて。


「えへへー、おかえりなさい。」
「うん。」

そのまま俺の頬にキスをしてくれる。
行って来ますとおかえりの時は必ずちゅーするの、そう言って毎日欠かさずされるキスだ。
恥ずかしながら、時々それに応えたりもする。
キッチンからは今日もいい匂いがしている。


「えっとあの、ご飯にしますか、お風呂にしますか?」
「ご飯でいいよ。」

こんな新婚家庭みたいな会話も当たり前になってきた。
他の人間にはこんなところは見せられないけれど、
二人だけで送っている、甘い生活だ。


「あのね、今日シロのとこ行ってきたの、それでね…。」
「そうか。」

ご飯の間中、志摩は喋ることを止めない。
夢中になって、口元にご飯粒が付いているのにも気付かない。
一日中家にるか、外に出ても友達がいない志摩は、誰かと話したくて仕方ないのだろう。
一番仲の良い知り合いのシロとは引っ越しによって離れてしまったから、時々会えるのが楽しいのだと思う。


「それでシロがー…げほっ!ごほっ、ごほっ!」
「おい大丈夫か?」
「あー…、苦しかったー…、むせちゃった。」
「話すか食べるかどっちかにしろよ…。」

テーブルに置かれた冷たいお茶の入ったグラスを差し出す。
志摩はゴクゴクとそれを飲んでようやく落ち着いたみたいだった。
そういうバカなところも、俺としては可愛いと思うんだけど、それを言えないのは、まだ素直になりきれていないこの性格のせいだ。


「ごめんなさい…。」
「わかったならいいんだ、それでなんだっけ…。」
「あっ、そうそう、あのね、シロに赤ちゃんができたのー!」
「……ぶっ。」

志摩に注意をしておきながら、今度は俺がむせる番だった。
何も考えずに話を聞きながら飲んでいた味噌汁を見事に噴き出してしまった。


「わっわっ、隼人大丈夫?!」
「げほっ、げほっ。」
「いきなりでびっくりしたの?」
「ごほ…っ、……うん、そうだけど………。」

志摩の話によると、今日シロのところへ行った時のことだ。
シロがケーキをすすめてくれたけれど、シロ本人は食べなかった。
甘いもの好きなシロが食べないのはおかしいと思って、志摩はその理由を聞いた。
最近太ってしまって、特に腹部が太ったとシロは言った。
それは太ったんじゃなくて妊娠じゃないか、そう志摩は思ったようだ。
そしてそれをシロに言って、二人で盛り上がってしまったらしい。

まずいことになった。
避けてきたことを、避けられない状況になってしまった。
志摩が、男同士でも子供ができると思っているのはわかっていたけれど、
こんな風に現実を叩きつけられてしまうと、もう逃げていられなくなった。
早く本当のことを教えてやらないといけない。
それでも志摩がにこにこ笑っているもんだから、このご飯の時に言うことは出来なかった。
もしかしたらこの後に及んで、逃げられると思っていたのかもしれない。

その後いつものように風呂に入って、ソファで寛いでいた。
志摩が見たいテレビ番組を流して、俺はぼうっとその画面を眺めていた。
近くで楽しそうにする志摩を見ているだけで、俺まで楽しくなる。


「ねーねー、隼人ー。」

番組はCMに入った時、志摩が俺に抱き付いてきた。
パジャマ姿で、風呂上がりで、俺の理性が試される時でもある。
洗い立ての髪からシャンプーのいい匂いがして、心臓がドキドキし始めていた。
その髪をくしゃりと撫でて、もっと強く抱き締めようと、志摩を引き寄せた。


「俺と隼人は…、いつ赤ちゃんできるのかなぁ?」
「……え…。」
「あっ、あのっ!こんなこと言うの恥ずかしいんだけど…その、エ、エッチしてるから…!それに新婚旅行も行ったし…!」
「あぁ…。」

もうダメだ、もう逃げられない。
今、志摩に本当のことを教えてやらないと。
時間が経てば経つほど、言い難くなるのはわかっていたのに。
志摩を傷付けたくないなんて、言い訳だったんだ。
どうやって言っていいのかわからない、俺の言い訳だった。


「隼人?」
「志摩、話があるんだ…。」

テレビのボリュームを落として、志摩の脇の辺りに手を滑り込ませる。
体重の軽い志摩をそのまま抱き上げて、向かい合うように自分の膝の上に乗せた。


「隼人?どうしたの?」
「志摩、あのな…。」

なんとか志摩を傷付けないように、それでいて本当のこと言うのは難しかった。
余計な飾りを付けずに、事実だけを俺は告げた。


「そうなんだ…。」

志摩は暫く黙った後、小さく呟いた。
俺はやっぱり、志摩を傷付けてしまっただろうか。
いつも元気な志摩が、俯いて、がっくり肩を落としてしまっている。
どうにかして、隠し通せばよかっただろうか。
早くもそんな後悔の波が押し寄せていた。


「えっと、隼人、ごめんなさい…。」
「いや、謝ることじゃ…。」
「隼人に嘘吐かせてごめんなさい。」
「え…。」

てっきり志摩は、自分が何も知らなくて謝っているものだと思った。
どうやっても自分には子供ができないから、落ち込んでいるものだと。


「隼人優しいからずっと黙っててくれたんでしょ?」
「あー…、いや、まぁ黙ってはいたけど…。」
「ごめんね、俺のせいで嘘吐きになっちゃって。」
「いや、いいんだ…。」

だけど本心はやっぱりショックなんだろう。
抱き付いてきた志摩が、泣きそうなのはわかる。
ぎゅうっと俺にしがみ付いて、なんとか泣かないように無理しているみたいだ。
俺のことなんて今はどうでもいいのに。
なんて俺は、幸せ者なんだろう。
優しいのは、やっぱり志摩、お前だ…。


「別に俺…、子供が欲しくて一緒にいるんじゃないからな。」
「うん…。」
「志摩が好きでいるんだからな。」
「うん…っ。」

頷くだけの志摩を、強く抱き締める。
こんな志摩を好きだから一緒にいる以外、何があるって言うんだ。
好きで好きで、ずっと一緒にいたくて、傍にいて欲しいから。
俺は志摩が好きだとうこと、ただ、それだけだ。


「その…、エッチ…するのも、別に子供が欲しいわけじゃないから…。」
「うん…。」

いつもなら、恥ずかしくて言えそうにない言葉ばかりが溢れる。
心が通じ合って、もっともっと深く繋がりたいから。
志摩の全部が好きで、全部が欲しいから、俺は志摩とセックスしている。
それをどうしても、わかって欲しかった。


「それに…、もしお前が産めたとしても、子供は要らないんだ。」
「隼人?」
「だってその、ほら…、一人占め…できなくなるし……。」
「隼人…!」

どもりながら、本心を告白した。
猫のシマにさえ嫉妬する俺が、他の人間がいて嫉妬しないわけがない。
子供なんかいたら、志摩を取られたと思って、不貞腐れるのがわかる。
だから、できない方が俺としては嬉しい、なんて言ったら志摩に申し訳ないんだけれど。


「だからいいんだよ、できなくて。」
「うん、えへへー隼人ー。」

すっかりご機嫌になった志摩は、顔を俺の胸元に擦り付ける。
いつものように、でれんと笑って、猫みたいにごろごろと。
バカで無知だけど、素直で、一途で、純粋だ。
そんな志摩が心から好きで、一人占めしたい、前にも増してその思いが強くなった。




翌日、俺は藤代さんから連絡が来るのを予想していた。
夕方を過ぎて、帰宅しようとしていたところ、電話が入る。
電話の向こうの藤代さんがどんなに慌てているのかも、予想できていた。


「どうしよう、水島…、シロが…。」

きっと物凄く悩んでいるに違いない。
藤代さんには悪いけれど、俺は可笑しくて堪らなかった。
以前、志摩のこの話を藤代さんにしたことがあった。
まさかシロまでそう思っているなんて、想像もしていなかったんだろう。


「どうすりゃいいんだよ〜…。」
「さぁ…?教えてあげればいいんじゃないですか?」
「んな冷てぇこと言うなよ…。」
「俺はちゃんと教えたんで。」

あの時の仕返しを、俺は嫌味たっぷりに言ってやった。
長い髪をくしゃくしゃとかき上げる藤代さんが目に見えるようで、また可笑しくなった。










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