「そらいろ-2nd period」番外編「そらいろのかなた」
あきちゃんへ。
あきちゃん、お元気ですか。
空は元気だよ。
ママもパパも、妹の七海もみんな元気だよ。
七海もだいぶおっきくなったんだよ。
まだまだ空にくらべたらちっちゃい赤ちゃんだけどね。
今度パパのお休みがとれたら海に行くの。
その時は写真送るから、楽しみに待っててね。
いつもいそがしいパパがお休みとれるのかなぁって、空はすごく心配だけど。
「でもママははりきってお弁当のメニューを今から考えて…。」
日本をはなれて、もう一年だよ。
あきちゃんとはなれて、もう一年もたつんだね。
あのねあきちゃん、今だから言うんだけどいい?
空、本当はあきちゃんとはなれたくなかった。
ずっとあきちゃんのそばで、あきちゃんと一緒にいたかった。
でもママのお腹に七海がいるってわかって、一緒に暮らすほうがいいってあきちゃん言ったよね。
小さい頃なら絶対にいやだってわがままを通したかもしれない。
でも空はその時もう5年生だったでしょ?
「せけんのじょうしき」ぐらいはわかっていたから、あきちゃんとはなれることを決めたの。
いつになるかはわからないけど、きっとまた一緒にいられる日が来るって思って。
だからあの時お別れのあいさつをしなかったの。
あきちゃんと最後にかわした言葉は「ばいばい」でも「さようなら」でもなくて、いつも朝おうちを出る時みたいに、「いってきます」って言った。
そしたらあきちゃんは笑って見送ってくれたよね。
「うん、いってらっしゃい」って言って。
「くーちゃぁーん、ちょっとこっち来てくれるぅー?」
「はーい。」
リビングルームでママが呼ぶ声がした。
まだ途中のあきちゃんへの手紙を机の引き出しの奥にしまう。
あきちゃんとは、電話で話すことはほとんどない。
僕のほうから手紙をたくさん出しているけれど、あきちゃんからの返事は時々だった。
僕が家族で暮らしているから、あきちゃんと僕のことを変に思われないようにするため。
それはあきちゃんの優しさだったから、返事が少なくてもちっとも悲しくなんかなかった。
「ママがご飯作る間、七海を見ててくれる?」
「うんっ、わかった!」
「ありがと、くーちゃん。今日はくーちゃんの大好きなハンバーグよぉー。」
「やったー!ママありがと!七海ーお兄ちゃんと遊ぼー?」
ママは相変わらず優しいよ。
空の大好きなハンバーグを作ってくれるから。
ママのハンバーグはすごくおいしいし、他のお料理だってもちろんおいしい。
パパだって優しいよ。
ふだんはお仕事がいそがしいけれど、お休みの日は空と七海とたくさん遊んでくれるから。
「あー、あー。」
「七海、何して遊ぶ?お人形さんで遊ぼっか。」
妹の七海はまだ言葉を話すことはできないみたい。
でも空の言うことに顔とか体を動かしてで反応してくれるよ。
顔はどっちかって言うとママに似てるかな。
「将来は美人になるぞ」ってパパが言ってたから。
ママみたいな美人になって誰かに取られるのがいやだって、今から心配してるのがおかしいよね。
「あぅー。」
「ん?何?どうしたの?」
七海がにこにこしながら背中に何かをかくしていた。
足をぱたぱたさせて、小さな手で僕の服をひっぱって、何かを見せたいみたいだった。
「あー。」
僕は気になってしかたなくて、七海の後ろに回った。
まだ歩くことだってできない七海は、ごろんと転がってはしゃいでいる。
「七海それ…!それどこから持ってきたの?」
「あぅ?」
「それ…、それはお兄ちゃんのだよっ、返してっ!」
「あぶぅー。」
七海が持っていたのは、白いぬいぐるみだった。
僕が日本をはなれる時に、学校の友達からもらったもの。
それは僕にとってはたからものだった。
あきちゃんに似てるって言ってみんなが選んでくれた、白いきょうりゅう。
「そんな顔してもダメっ、返してっ!」
「あうぅー!」
「あぁもうよだれでベトベトだよー!早く返して七海!」
「やー!」
「やー、じゃないのっ、それは空のなの!!」
「うえぇー、うえええぇーーん!!」
泣きたいのは僕のほうなのに、七海は赤ちゃんってだけでずるい。
大事なぬいぐるみを取られて、よごされて、僕だって泣きたいよ。
まるで大好きなあきちゃんが、誰かに取られたみたいで…。
「う…、返してって言ってるのに…。七海のバカぁ…、ふぇ…うっうっ…。」
「うええぇーん、ふえぇーん!」
あきちゃん、空はね、今の生活がいやだなんてぜんぜん思わないの。
ママもパパも七海も大好きだから。
でも時々思い出しちゃうんだ。
ママがハンバーグを作ってくれる度に、あきちゃんのハンバーグの味を思い出しちゃうの。
ハンバーグとかカレーとか、スパゲッティーとか、空の好きなものいっぱい作ってくれたよね。
このぬいぐるみを見る度に、あきちゃんの顔を思い出しちゃうの。
あきちゃんが空の名前を呼ぶ時のあの笑顔が好きだった。
パパが抱きしめてくれる度に、あきちゃんとはちがうなーって思っちゃうの。
あきちゃんが抱きしめてくれたかんしょくとぜんぜんちがうんだもん。
こんなに何も不自由のない、楽しい生活を送っているのに、あきちゃんだけがいない。
それが悲しくて、空は時々泣きたくなるの…。
「どうしたの二人とも!なぁにケンカ?」
「ママぁ…、だって七海が…。」
「あらあらくーちゃんまで泣いてるの?どうしたの?」
「だって七海が言うこときかないんだもん…。」
七海の大きな声でかけつけたママが、僕の顔を見てびっくりしている。
だってもう僕はこんなふうに泣くような年頃でもないから。
「あら、これって…。」
「日本の学校の友達がくれたの…。」
「まぁまぁヨダレでベタベタねぇー、なんだか思い出しちゃうわぁ。」
「え…?」
僕がどんなにそのぬいぐるみを大切にしていたか、ママだってわかっているはずなんだ。
学校の友達がみんなでお金を出し合ってくれたものだって説明したし、「可愛いでしょ」って言いながら自慢げに見せたんだ。
でもママは七海を怒ることもしないで、クスクスと笑い出してしまった。
「くーちゃん、これと似たようなの持ってたでしょ?水色だったかしら?」
「え…?あ、うん…。」
「誰がくれたってママ言ったかしら?あれは秋生がくーちゃんが生まれた時に持ってきたのよ。」
「あ…、空、あきちゃんから聞いたよ。」
「七海とおんなじ。ヨダレでベタベタになるまで離さなくって。食べ物じゃないって言ってるのにずーっとくわえてるんだもの。」
「そ、そうだったの…?」
「うん、そうよぉー。そういえばあのぬいぐるみは?もう捨てちゃったの?だいぶよれよれだったものね。」
「う、うん!汚くなっちゃったもん。」
ママ、ごめんなさい。
空はうそつきです。
本当はあのぬいぐるみは、日本にあるんだ。
空の大好きな人のところに、ちゃんと今もあるよ。
でも大好きな人とのことは内緒だから。
だからごめんなさい。
「七海ー?お兄ちゃんの物取っちゃダメよ?貸してーって言ってから、ね?」
「あうぅー、ううぅー。」
「ほらくーちゃん、ごめんなさいって。」
「あぅ〜…。」
なんだか、僕はすごく恥ずかしくなってしまった。
七海はまだごめんなさい、も言えないぐらい小さいのに。
僕は七海のお兄ちゃんなのに。
ぬいぐるみでこんなにムキになって、怒って泣いたりして。
自分がさみしいのをやつあたりなんかして。
ごめんね、七海…。
「ううん、お兄ちゃんこそごめんね。」
「あー♪」
いつも頭を撫でると、七海はにっこり笑ってくれるんだよ。
こうやって笑うと、すごくかわいいの。
空もお兄ちゃんなんだって、ちょっとは大人になった気分になれるんだ。
「七海、これ貸してあげる。」
「あーっ!」
「えへへ、嬉しいの?でも貸すだけだよ?」
「あう、あー!」
ぬいぐるみぐらいなら貸してあげようと思った。
だって日本に帰れば本物のあきちゃんがいるから。
いつか本物のあきちゃんにいっぱい抱きしめてもらえるから。
ううん、今だって心はあきちゃんとつながっているんだから。
ただちょっと本物のあきちゃんにさわっていなかったから、さみしくなっただけ。
本当にちょっとだけ…。
「あ、そうだ!くーちゃんこれ…。さっき届いてたのママ忘れてたわ。」
「あ…!あきちゃんからだ!」
「ふふっ、そんなに嬉しいの?くーちゃんったら秋生のことが大好きなのねぇ。」
「うんっ、嬉しいっ!空、あきちゃんのこと大好きだもん!」
あきちゃんが大好き。
ママからすれば、僕とあきちゃんはただのおじさんとおいっこの関係。
小さい頃に一緒に暮らした、大好きなおじさん。
でも二人の間だけは、ちょっとちがう意味なんだ。
ママにもパパにも、友達にも内緒の恋人どうしなんだ。
「見て、ママ!日本の空だよ!」
「あら…、秋生ってば結構マメだったのねぇ。」
「むこうも暑そうだね。」
「そうねぇ…、思い出すわねぇ。」
あきちゃんが送ってくれたのは、夏の空の写真だった。
風景からして、一緒に暮らしていたマンションから見たところだと思う。
僕がさみしがっているんじゃないかって思って送ってくれたような気がして、まるで心と心が通じ合ってるみたい。
「ママ、ちょっと空手紙書いて出してくる!」
「あらあら、早いわねぇ。」
「すぐ帰って来るから!帰ったら七海の面倒見るからねっ。」
「気をつけて行ってくるのよー?」
ママの話が終わらないうちに、僕は自分の部屋へ走った。
引き出しの中の手紙を取り出して、いそいで続きを書く。
エアメール用の封筒に入れて、のりとシールできっちりと封をしたら完成だ。
「いってきまーす!」
あきちゃん、写真ありがとう。
空がちょうどこの手紙を書いてる時にとどいたんだよ。
なんだかすっごくうれしくなっちゃって、いそいで書いたから字とかまちがってたらごめんね。
「ふー、あっつーい…。」
今日もこっちはいい天気だよ。
空は時々ちょっとだけさみしくなるけど、大丈夫。
だって、今見てるこの空はあきちゃんのところまで続いてるんだもんね。
空の心とあきちゃんの心もつながってるんだよね。
あきちゃん、大好き。
空はずっとあきちゃんが大好きだよ。
また、手紙書くね。
空より。
END.
/index